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二匹の使い魔 〜大魔法使いモルドラの遺産〜


「ミミーっ、降りてきてよー! 魔法のお勉強の時間だよーっ」
 黄色と橙色に葉を染める木々に囲まれた小さな家。暖かい日差しが降り注ぐ屋根の上の白猫は、耳を少し動かすだけで、下から呼ぶ声に視線を向けることすらしない。
「ほらっ、おやつにニボシもあるんだよっ! 美味しいよ〜? 早く降りてこないと食べちゃうよ〜?」
 エプロンのポケットから取り出したニボシを大きく振ってみたり、あ〜んと食べようとしてみたりと試行錯誤するのは、八歳くらいの少女だ。ふわふわとした夕日色の髪をリボンでまとめ、浅黄色のワンピースに白いエプロンをしている。
 都から遠く離れた長閑な田舎町。レンガ作りの小さな家で両親と一緒に暮らす少女の名はサリー、そして最近家族に加わった白猫の名はミミといった。
「はははは、ミミは食べ物にあまり興味がないようですね」
「あっ、マルクおにーさ……じゃなくって、マルク先生っ!」
 垣根の外、にこにこと立っているのはこの町唯一の魔法使いマルクだった。ひょろっと背の高い頭には青いとんがり帽子、背には同じ色のマント。とんがり帽子とマントは職業魔法使いのトレードマークだ。
「うちのピピは食べるの大好きなんですけどね。まあ使い魔は食事からエネルギーを得るわけではないので、趣味みたいなものです」
 ローブの袖口から、しゅるりと顔を覗かせるのは、鮮やかな黄色の蛇だ。まん丸な黒い瞳をサリーに向ける。
「ピピ! ピピは木の実丸呑みするのが好きだよね〜」
「のど越しが堪らないんだそうです。この前、長々と語ってましたよ」
「あぁ、私も早くミミと精神会話できるようになりたいなぁ〜。お話しできたの、最初の契約?の時だけだよ……」
 サリーはそう言いながら再び屋根を見上げる――が、そこに居たはずの姿はない。
「あれ!? ミミ! どこいったの!? ミミーっ!」
 白猫を探して駆けていく少女。
「おやおや、先に使い魔の位置把握術を教えたほうがいいでしょうかね」
 その背を見送りながら、マルクは唯一の生徒の学習計画を考えていた。



 ふりふりふり。
 それは狩人の本能。
 腰を高く上げ、狙いを定め、かっと瞳孔が広がった次の瞬間。
 だっ。
「しゃーーーーっ!!」
「ふぅぅうううう!!」
 白い猫の使い魔と黄色い蛇の使い魔は、魔法使いマルクの職場兼自宅で白熱の攻防を繰り広げていた。
「ああっ、ケンカは駄目だよ!!」
「はははは、遊んでいるだけですよ」
 サリーは、本の山がいくつも積み上げられた大きな木のテーブルの片隅に座り、基礎魔法学の教本を開いていた。部屋の壁沿いには幾つも本棚があり、そのどれもが満杯だ。小さな引出しが沢山ついた棚には、様々な種類の薬草や鉱石の欠片が詳細なラベルを貼られて収納されている。雑然とした部屋の中でも一際大きく場所を取っているガラス製の装置は、魔法薬精製に使うらしいのだが、サリーはまだ少しも使い方が想像できなかった。
 マルクは足元でちょろちょろバタバタと走り回る使い魔たちを気にすることなく、サリーの後ろから教本を覗き込んで指差す。
「それでは、サリーさん。この問二ですけど……」
「えっと、火の精霊力を行使する場、を、整える魔法薬、は……アジロ草の実と、紅石の粉末と……アルマー液?」
「いえ、サチル液ですね」
「えぇー、そうだっけ?」
 サリーはぱらぱらと教本をめくる。一覧が載ったページに来ると、じっと見た後、はぁ〜と大きく溜息をついた。
「先生ー、本当にこれ全部覚えなきゃ駄目かなぁ? ミミが居れば魔法薬って要らないんでしょう?」
「確かに使い魔は魔法薬なしで魔法を使ってくれますけれど、それにばかり頼っていて自分で魔法を使わないのはいけませんよ」
 マルクはそう言うとピピに視線を向ける。ミミと距離を取って一時休戦していたピピは、すぐにするするとマルクに近づき、差し出された腕に巻き付く。そして、ちょこんと首をもたげて空中を見つめた。
 ぽっと炎が空中に浮かび、マルクは蝋燭にそれを移した。さらに戸棚から小さく折った紙に包まれた魔法薬を取り出すと、手のひらに乗せて短い呪文を唱える。ぽっと再び炎が生まれ、マルクは別の蝋燭にその炎をとった。
「このように、火が点くという現象は同じですが、アプローチの仕方が違います。我々が使う魔法はこの世界由来の自然力(ラナ)を集めて現象を引き起こしていますが、使い魔は彼らの元々属する異界の精霊力(レア)をこちら側に呼び込んで現象を引き起こしているので……」
「せ、先生っ、ぜんぜん分かりませんっ!」
 はいっと大きく手を上げて言うサリーに、滔々と説明を続けていたマルクはぴたと動きを止めて、ははははと頭をかいた。
「すみません。サリーさんにはまだ難しかったですよね。本来ならば魔法学校で六年間学んで、七年目にやっと使い魔との契約について学ぶんですよ。サリーさんの場合、突発的事故で契約してしまいましたので……」
 ――一ヶ月ほど前。サリー一家の乗った馬車が精霊嵐に巻き込まれた。異界との境界が薄まり、精霊力が暴走する精霊嵐――まともに巻き込まれて助かる可能性は低い。マルクと町の自警団は事後処理のために現場へと向かったのだが、そこで発見されたのは大破した馬車と無傷のサリー一家、そして薄汚れやせ細った白猫だった。
「あの精霊嵐の中、サリーさんがミミと契約を結び、その力を発揮しなければ、サリーさんもご家族も助からなかったことでしょう。精霊嵐を打ち消すほど高レベルの使い魔が、何故森で衰弱していたのかは分かりませんが……」
「ミミが使い魔だなんて、最初はぜんぜん気がつかなかった! おうちで介抱してあげようと思っただけで……契約?っていうのも、よく分からなかったなぁ。名前をつけろっていうから、ミミってつけたんだ」
「本来でしたら色々と正式な手順があるんですけど、契約できてしまったものは仕方ありません。ミミを活躍させてあげるためにも、しっかり勉強して立派な魔法使いにならないといけませんね」
「……はぁい」
 気の乗らない返事をしながら教本に視線を戻すサリー。その足元で、ミミはごろんと寝そべって毛繕いをしていた。



 魔法都市ウィザムディア。魔法ギルドの本拠地にして世界最大の魔法研究所を有する、魔法使いのための空中都市。
 その中心部にある魔法ギルド総長の執務室。大きな窓から差し込む陽、落ち着いた調度品に囲まれた机の椅子には、しかし人の姿は無く……ただ、艶やかな毛並みの黒猫が、ゆったりと寝そべっていた。
 こんこん、と扉がノックされる。黒猫はぴくりと耳を動かした。
「リエル様……契約移行の準備が整いました」
 少し扉をあけて姿を見せた魔法使いの青年が、おそるおそる声をかける。黒猫は少し目を細めてぱたぱたと尻尾を動かした。可の合図だ。青年は後ろを振り返って頷き、執務室に入る。
 青年に引き続き部屋に入ってきたのは、杖をつき供に支えられて歩く白髪交じりの男、大柄ながら顔面蒼白な青年、その他数人。全員魔法使いの装束を着ていた。
「それでは……始めさせていただきます」
 まるで葬儀のような、重く感情を抑えた宣言。その場の誰もが何かに耐えるように視線を伏せている。総長の椅子に寝そべる黒猫だけが、優雅にそれを眺めていた。
 杖をついた男と、大柄な青年が向かい合って立つ。その周囲やや離れた場所を数人の魔法使いが囲み、各々魔法薬を取り出して呪文を唱え始めた。
 構築された儀式の場へ、椅子を飛び降りた黒猫がゆっくり足を踏み入れる。すっと大柄な青年に視線を流した。まるで獲物を品定めするような視線に、大柄な青年はごくりと唾を飲む。
「……ここに、汝『リエル』との契約を終了し、新たなる命を与える」
 杖をついた男の言葉を引き継いで、大柄な青年が震える声をふりしぼる。
「汝、新しい名は……『リエル』」
 ふわっと黒猫が光に包まれた。それは一瞬。しかし、想像を絶する巨大なものが、二人の間で交わされたのだった。
「ぐっ……」
 大柄な青年が膝をつく。一方、杖をついた男は、口の端をわずかに上げて、長い長い溜息をついた。
「覚悟はしていたが、これほどとは……」
 息を上げ、冷や汗を浮かべる大柄な青年。大病を患ったような全身の倦怠、指先からつま先まで鉛のように重く、きりきりと痛む頭では思考が霞むようだ。
 そんな青年を一瞥することもなく、黒猫は青年の横をすり抜け、かろやかに陽の差す窓辺に跳び外を眺めた。
「…………」
「……あやつは精神会話には応えぬよ。我らを主とは思っておらぬ。魔力を吸うための餌に過ぎぬのだろう」
 杖をついた男はそう言うと、大柄な青年に自らの杖を手渡した。
「エゼルの居ない今、この空中都市を支えるために、リエルを失うわけにはいかぬのだ。総長代理の任期は四ヶ月。辛さは重々承知しているが……頼むぞ」
 青年は苦痛に眉をしかめながら、その杖を受け取った――。



――『白のエゼル』を見つけよ
――魔法都市ウィザムディアの未来のために 『黒のリエル』の支配から脱するために
――白い毛並みに金の瞳、美しき『白のエゼル』を、我らの元に



「お母さーん! ミミがいないのー!」
「あら、ベッドの毛布じゃない? 最近、日が落ちると随分寒くなったもの」
「そっか!」
 サリーはぱたぱたと自室に駆けていく。見ると、ベッドにかけられた桃色の毛布に、ぽこんと丸い小山ができていた。
「ミミー!」
 ばっと毛布をはぐと、丸くなった白猫が顔を上げ、不満そうなジト目を向けた。前脚を右、左、と伸ばしてぐぅーっと腰を上げ伸びをする。
 そして、ベッドから飛び降りようとしたその前に、サリーは、ばっと全身でミミを抱きかかえた。
「わぁー、ほこほこする〜! 温かいねぇミミ!」
 白猫は身じろぎするわけでもなく、ただ尻尾をぶんぶんと数回大きく振る。
「今日は一緒に寝ようね! あ、今日だけじゃなくて、これからずっと一緒に寝ると暖かいね!」
 返事はない。ミミは滅多に鳴くことはなく、精神会話もまだできない。しかし、ごろごろごろと低く聞こえる音が、何よりの答えだった。
「サリー、ミミはいた? ご飯にするわよー」
「はぁい!」
 母の呼ぶ声に駆け出すサリーの足元を、ミミは尻尾をぴんと立てながらついていった。



― 終 ―



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