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黄金尻尾のサマーシャと天才博士の鳥飼進



「はっはっは! ついに! ついに完成したぞっ!!」
 町工場を改造した研究所。その八割以上を占める巨大な『完成品』を前に、鳥飼進は両手を広げ声をあげた。
「人類初! 新たなる一歩は、ここから始まるのだ!!」
 パソコンやタブレットなどの電子機器、洗濯機や電子レンジ、古いブラウン管のテレビなどの家電、かと思えば、大学や研究施設にしかないような精密電子機器まで、ありとあらゆる機械が適当に積み上げられたように見えるソレは、まるで粗大ゴミの山だった。
 巨大な機械の正体は、『異次元空間転送装置』――仮称:N-LAND世界へと物質を行き来させる夢の装置だ。N-LAND世界の研究は広く行われているが、生物の転送が成功した例は未だ報告されていない。
「オメデトウゴザイマス・サスガ博士=人ノ道ハズレテルダケ=アリマスネ」
「その単語の用法はおかしいぞ、38。後で言語データを修正してやろう。まずは試運転をしてみなければ!」
 38(サンパチ)と呼ばれた棒読みの電子音声を発する物体――博士の腰ほどの高さの直方体に二本の長いアームと小さな車輪が付き、見ようと思えばロボットに見えなくもない――は、チキチキチキと数秒の演算処理を経て言い直した。
「オメデトウゴザイマス・人知ヲ越エタ博士・イヨッ=コノ人デナシ!」
「無駄な処理してる暇があったら、D−2の確認をしてくれ。うまく動いているか?」
 巨大な機械の一角に埋もれたモニターとキーボードの前で、博士は38のほうを見ることもなく言う。指示を受けた38は、機械の周囲をチョロチョロと動き回った。
「ハイ・問題アリマセン」
「位相の揺らぎ値は?」
「0.86=想定範囲内デス」
「よーし」
 博士は大きくうなずいた。巨大機械の一部、古いゲームセンターで手に入れたミュージックゲームの筐体へと、ゆっくり足を踏み入れる。
「私の理論は完璧……失敗する要素は何もない。『異世界』への扉を開くのは、この私だ……!!」


 バリバリバリッ、と空を引き裂く雷のような大音響。
 真っ白な閃光。
 落ちているのか、浮いているのか、分からない浮遊感。

 すべての感覚は『透明』に塗りつぶされた。




 最初に回復したのは触覚だった。チクチクと肌に触れるもの、ごつごつと背に触れるもの、ふわふわと頬にふれるもの。
 次いで嗅覚。しめった土の匂い。青々とした葉の匂い。ほんのりと甘い花の匂い。
 さわさわと木の枝が葉を揺らす音、鳥と虫の鳴き声が聞こえてきた。明るい日差しがまぶたの裏から透けて見える。
 彼は目を開いた。はっと息をのみ、起き上がる。
 そこは森の中だった。大きな木の根元に倒れていたらしい。木も草も、色が虹色だったりぐねぐねと曲がっていたりというような異世界っぽさは見あたらない。しかし研究所近辺の山ではなさそうだった。あえて言うならテレビで見た屋久島の森に似ているだろうか。しかし南国にしては、気温も日差しも穏やかだったが。
「うぅむ、世界の壁は越えられなかったか……しかし、研究所から外への空間移動には成功。設定の調節をすれば成功も間近だなっ!」
 そう叫んで、違和感を感じた。
 声が変だ。まるで女子高生のように高い。それだけではない、『言葉』が変だ。
「あー、あー、あー? 本日は晴天なり。え? 『晴れ』。なんだ、どういうことだ?」
 普通に喋っているつもりなのに、自分が話しているのは完全に『日本語ではない』。しかし、自分が発したその言葉を理解できる。想像した言葉と実際に発した言葉を単語ごとに比較しようとすると、言葉の認識がごちゃごちゃと絡まり合って頭が混乱した。軽く頭痛や目眩までしてくる。
 彼はわしゃわしゃと自分の頭をかいた。ふわふわと髪の毛と、そして何かヒダのような感触を感じて、ビクッと手を止める。
「…………っ!?」
 なんだこの柔らかい髪は。なんだこの細くて白い手指は。なんだこの白い花で飾られたヒラヒラとした衣装は。なんだこのすらりとした足と革紐で編まれたサンダルは。なんだこの腰の後ろから伸びるもふもふとした尻尾は!!
「一体どうなっているんだ!?」
 自分の姿を確認した獣の耳と尻尾を持つ少女は、可愛らしい声で叫んだ。


 一方その頃。山のように積み上がった機械が鎮座する、郊外の研究所では。
「いぃやぁぁぁっっっ!? ナニコレぇぇぇぇっ!?」
 博士がテノールボイスでその姿に似つかわしくない悲鳴をあげていた。
「アレマ・博士ガ壊レタ・ワーコリャ=テーヘンダ」
「なんか言ってるぅぅぅ」
 38が両方のアームを上にあげて電子音声を発すると、博士の姿をした何かは床を這いずるように距離をおいた。しかし、巨大な機械にぶつかってうまく逃げられない。
「アナタノ使用言語ハ日本語デス・ワタシノ言葉モ=理解デキルハズ」
「来ないでぇぇぇぇ」
「精神混乱中・アレマ=コリャコマッタ」
 チキチキチキと演算処理した38は、突然、くるりと博士に背を向けた。
「……ウワアアア・コッチニ来ルナアアアア・壊サレルゥゥゥ」
「……え」
 急に目の前から逃げ出し、両方のアームで頭(?)を覆いながら壁際で震えだした38に、博士の姿をした何かは縮こまっていた腕を解いた。
「べ、別に壊そうなんて……」
「動イタァァァァ」
「ちょっ、大丈夫だって! 何もしないから!」
 ぴたりと震えるのをやめる38。そうっとアームの間から目(カメラ)を覗かせる。
「……アナタノ=オ名前ハ?」
「アイルグランテのサマーシャ」
「オ国ハ=ドチラデ?」
「国? ヒト族が決めてるやつ? さぁ、なんだったかなぁ……」
「アナタハ=人間デハ=ナイデスカ?」
「そんなの見れば分かるで……あああ、そういえば私、なんか変な姿になってるんだったっ!?」
「オオット・コリャ失敗」
 プシューと音をたてて、38がひっくり返った。ピクッピクッと二、三回、アームと車輪を痙攣させて、動かなくなる。
「う、嘘、壊れた……!? 私何もしてないのに……!」
「サ、サマーシャ氏……オ願イガ=アリマス……」
 息も絶え絶えに(ロボットだから息はしていないのだが)言う。
「何? どうすればいいの?」
 四つん這いのままゆっくりと近づいて、心配そうに38の様子をうかがうサマーシャ(in博士の身体)。
「イイデスカ・説明ヲ=ヨク聞イテ=クダサイネ」
「うんっ」
「アナタハ・オソラク・ウチノ博士ト=身体ガ入レ替ワリマシタ・ソノ身体ハ=ウチノ博士=鳥飼進ノモノデス・三十ニ歳独身・イワユル馬鹿ト天才ハ紙一重ナ研究者デス・今回=空間転送ノ実験ヲシテイテ=アナタヲ巻キ込ミマシタ・代ワリニ謝罪シマス・申シ訳アリマセン・死ンデオ詫ビヲ」
「いや死ななくていいからっ!」
「アリガトウゴザイマス・ソレデ=デスネ・アナタハ・オソラク・別世界ノ住人デス・僭越ナガラ=ワタクシ=アナタガ元ノ世界ニ帰レルヨウ=ゴ協力イタシマス」
「本当? ありがとう! ……って、あれ? 私、何かしなくちゃいけなかったんじゃ……」
「ハイ・コレカラ・シテイタダキマス・ア=ワタクシノ事ハ・サンパチ・ト=オ呼ビクダサイ」
 先程まで壊れかけの様相をしていた38は、スルスルと滑らかに動いて巨大な機械のモニター部分へと向かう。サマーシャ(in博士の身体)は首を捻ったが、幸か不幸か、サマーシャはあまり物事を深く考えない素直な性格だった。





「おそらく今頃、私の身体には、この獣人少女の記憶と意識が移っているはずだ。38がうまいこと誘導して、再設定してくれればいいのだが」
 遠い異世界の森の中で。博士(inサマーシャの身体)は、木の根に小刀で彫った大量の計算式を前にして、ため息をついた。
 始めは異相転換途中に別生物が巻き込まれたブランドル現象を疑ったが、獣人少女の衣類等に使い込まれた跡があることから、別個体への記憶転換ではないかという仮説を立てた。頭痛と目眩と戦いながら計算し、可逆現象であろうことも、元に戻すための装置の設定もある程度判明したが、肝心の装置がここにはない。
「問題は私の技術や知識が、どの程度少女に引き出せるか、か。言語知識が共有できている以上、その他の知識もある程度は引き出せるはず……しかし記憶に関してはサッパリだからな。脳の記憶領域が違うのか。うーむ、生物科学は専門外だからなぁ」
 再びため息をつくと、もふもふとした尻尾がばさっばさっと動いた。尻尾というのはこういう感じで動くものなのか、と思う。
 獣耳と尻尾を持つ人間が存在するここは、間違いなく異世界――仮称:N-LAND世界だろう。研究によってパラレルワールドと言っても過言ではないほど似た世界であること、中世程度まで発達した文明があること、巨大爬虫類(恐竜あるいはドラゴンと呼べるもの)がいること等が分かっている。
 しかし、博士の専門分野は異次元間の転送技術であり、異世界のフィールドワーク的な調査にはそれほど興味がなかった。とにかく早く戻って装置を調節したい。あともう少しで完成なのだ。
 その時、下草を踏む音が聞こえ、博士(inサマーシャの身体)は無意識にふりかえった。
「おーい、サマーシャ、こんなところで何をやってるんだ」
 近づいてくるのは、青灰色の髪と獣耳と尻尾を持つ少年だった。鳥の羽で飾られた衣装を身につけている。この獣人少女と同じ部族のものなのだろう。
「ふむ、この少女はサマーシャというのか」
「ん? なんか言ったか?」
 きょとんとする少年に、博士(inサマーシャの身体)は少し考え、立ち上がって裾を払いながら言った。
「あー、突然だが、私は記憶喪失になった」
「はあっ!? どういうことだ!?」
「どういうことも何も、そのままの意味だ」
「お前、ふざけてるだろ」
「ふざけているように見えるなら結構。あまり大事にしたくないからな」
 肩をすくめる博士(inサマーシャ身体)を、目をまんまるにして上から下まで見つめる少年。たっぷり十秒ほどしてから、眉根を寄せて言った。
「……本当に記憶喪失になったのか。喋り方も変だし」
「うむ。信じてもらえたようだな。あー、向こうがうまく行けば、数時間程度で戻れるはずなんだ。それまで適当に時間をつぶしたい」
「向こうってなんだよ。数時間後には戻るったって、もう祭の準備に行かなきゃだろ」
「そうなのか」
「大丈夫か? あぁ、まったく、よりによって初唄祭の日に記憶喪失になるなんてなぁ。どーすんだよ」
 大きく首を振りながら天をあおぐ少年。その獣耳も尻尾も、てろんと垂れ下がっていた。




 A2Z回路。時空移転式。位相計算。
「ぜんっぜん分かんないんだけど」
「アレマ=ソリャタイヘン」
 サマーシャ(in博士の身体)は、巨大機械のモニターと大量の手書き資料とを、交互に見比べていた。
 見たこともない言語で書かれたそれの、意味するところは何故かなんとなく分かる。意味は分かっても、内容が分からない。読めるけど理解ができない。なんだか頭が痛くなってくらくらしてきた。
「これをもう一度動かせば良いんだよね。でも、設定を調節しなきゃいけないって……どこをどうすればいいの?」
「ソノ演算処理ハ=ワタシニハ=不可能デス・ワタシハ=予定通リノ帰還操作=シカ=デキマセン」
「予定通りの操作じゃ駄目なの?」
「前提条件ニ=相違ガアリマス・駄目ナ確率=97.6%=デス」
「けっこう駄目ってことだよね、それ……えぇー、困ったなぁ〜。早く戻らなきゃいけないのに」
 今日は初唄祭の日なのだ。精霊様に唄と舞を披露して、部族の一員として認めてもらう日。太陽が沈むまでに帰らなければ――絶対に。
「がんばれ博士! なんとか思い出すの! むむむむむーっ!」
 モニターぎりぎりまで顔を近づけて睨みつける。
「なんとなくこっち! たぶんこう!」
 ぱっと思いついたままに、適当に数式を書き替え、並び替える。もう身体の記憶と感覚を信じるしかない。
「やるしかないよ、サンパチ!」
「幸運ヲ=祈リマス」





「サマーシャ、どうだ? 記憶は戻りそうか?」
「そろそろ戻ってもいいはずなんだがな」
「……まだなのか」
 博士(inサマーシャの身体)と獣人少年トルネルは、とりあえず予定通り、祭で使う香枝を採取していた。日はかなり傾いて、そろそろ集落へ戻らなければならない。
「こちら側からできることは何もないのだから、仕方がない。コンピュータどころか電気もなさそうだしな」
 『コンピュータ』『電気』といった単語は日本語のまま発声することができた。この世界に存在しないか、少なくともこの獣人少女の知識にはないのだろう。
 ふむふむと一人うなずきながら不可解な言葉をつぶやく少女に、トルネルは不安げな瞳を向ける。
「祭が始まっても記憶が戻らなかったらどうするんだ? 初唄祭は人生で一度きりなんだぞ。そんな状態で参加するなんて」
 どうやら初唄祭というのはこの部族の成人式のようなものらしい。
「うーむ、それはなんとか延期できないものなのか? 例えば、病気とか怪我の場合はどうするんだ」
「確かに怪我とかで来年にする人もいるって話だけど、そしたら俺と……」
 トルネルは口ごもり、サマーシャ(中身は博士)のほうに向き直る。
「なぁ、本当に何も憶えてないのか?」
 真っ直ぐな視線。博士はそういったことに疎かったが、少なくとも推理はできた。
「あぁ、まったく憶えていない。まぁ、お前との甘酸っぱい記憶を私に覗かれるのもなんだろうから、彼女にとっては幸運だったのではないかな」
「誰の話をしてるんだ? はぁー、まったく、本当に記憶が戻るのか心配だよ……」
 やれやれとため息をつきながらトルネルはサマーシャ(中身は博士)の頭を撫でる。ふわふわとした黄金色の髪の毛。獣耳がぱたぱたと動く。大きな瞳が軽く上目遣いで見つめる。
「あー、もう仕方ないか。よし、分かったよ。俺、来年まで我慢する。だから、さ」
 ぐっ、と、トルネルはサマーシャを引き寄せた。
「ちょっとだけ、いいだろ?」
「……は?」
 見ず知らずの獣人少女の恋愛沙汰など、興味の欠片もないのだが。こういう場合はどう行動すべきなのだろうか。
 博士(inサマーシャの身体)が思案する中、トルネルの顔が息づかいを感じる程まで近づいた。


 バリバリバリッ、と空を引き裂く雷のような大音響。
 真っ白な閃光。

 『透明』は、再びすべてを塗りつぶした――。






「ああっ! 私だ! 戻ってきたんだっ!!」
 オレンジ色の光に染まる森の中。少年は声をあげ、直後その違和感に気づいた。すぐ目の前にいる黄金色の少女は、目をぱちくりとさせている。
「えっ!? あれっ!? なんで『私が居る』のっ!? じゃあ、『私』は一体……っ!?」
 両手を見て、服装を見て、体をひねって尻尾を見て、サマーシャ(in少年の身体)は気づく。
「ト、トルネルだぁぁぁぁぁっ!?」
「あれま。そりゃ大変」
 少女は無表情につぶやいた。


「……っ!? サ、サマーシャ? どこだ? なっ……何なんだここは!? 一体どうなったんだっ!?」
「落チ着ケ・騒グナ・装置カラ=離レロ」
「なんだこいつ! こっち来んなよ! しっしっ!」
 怯えて後ずさりながら手を払う滑稽な『自分』の姿に苛立ちを感じつつ、しかし今はそれどころではなかった。
 博士(in38のボディ)はするするとモニターに近づき、アームの先端でキーボードを叩く。
「ウーム・38マデ=巻キ込マレタノハ=何故ダ? ソモソモ=ぷろぐらみんぐサレタモノニ=過ギナイ=38ノ疑似意識ト・人間ノ意識ガ=入レ替ワルナド……オイ・チョット=ソコノ資料ヲ取ッテクレ」
 38はふりかえる。しかし、そこには誰もいない。研究所の扉が開け放たれ、資料が風に揺れていた。
「アノ=ヤロウ……!」
 プシューっと音を立てて38は後を追う。
 騒動はまだ始まったばかりだった――。




― 黄金尻尾のサマーシャと天才博士の鳥飼進 終―



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