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雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 1 「黒竜の守護する国」



(3)追手!

 雑貨屋の開店は9の刻。リームの今までの生活よりも、ずっと朝はゆっくりだ。
 朝食を食べ、軽く掃除をして、ただひたすら店番をする。そんな日々が続いた。
 店主のティナはいたりいなかったり……いないことが多いかもしれない。食事は一緒にとることが多かったが、たまに丸1日いないときは裏手にある台所に材料を用意しておいてくれた。
 働き出してから7日間が過ぎ、リームも初日に比べればこの奇妙な雑貨屋に慣れてきていた。
 店主のティナの不思議さに対しても、耐性がついてきているようだ。稀にトンデモナイ商品が混ざっていることと、どこへ行っているのか分からないこと以外は思ったよりも普通で(それだけで十分得体が知れないが、それはこの際おいておく)、いつも明るく笑顔でマイペース、ざっくばらんで気取らない、本来ならばこの上なく理想の雇い主だ。
 あとここの生活で問題点があるとすれば、とっても、ものすごーく暇である、ということか。
 7日間で客がまったく来なかった日が3日あり、来ても1日に数人程度である。それさえも冷やかしがほとんどで、売れた品物は小さなカゴがひとつと、香辛料が数種類だけ。
 まぁ街の噂を考えれば当然のことなのかもしれない。しかし心配なのは店の収支と、それに繋がる自分の給金だ。生活させてもらってるだけでもありがたいけれど、一応リームにも夢がある。少しずつでも給金を貯めて、夢への一歩を踏み出すためにここにいるのだ。頼みの綱の紹介状を使って手に入れたこの働き口が、そう簡単に潰れてしまっては困る。
 ある日、リームは率直に聞いてみた。こんな売れ行きで大丈夫なのか、自分の給金は出るのかと。しかし、ティナは笑って蓄えがあるから全然平気と応えた。
「だって考えてみてよ。売り物の宝石をひとつよその店に売れば、買い叩かれたとしても一ヶ月は楽に暮らせるでしょ。まだ在庫はあるのよ?」
 そう言うティナの言葉は納得できるものだった。この店主、金銭感覚はおかしくはないのだ。しかし、それほどまでに裕福なのに、何故こんな怪しい雑貨屋をやっているのかは、相変わらず謎なわけだが。


 そして8日目の夕方、雑貨屋に来客があった。
 ひとりで店番をしていたリームは、扉が開く音に顔をあげ、磨いていた陶器の小物入れを棚に戻しつつ入口のほうへと笑顔を向けた。
「いらっしゃいませー」
 客は3人で、ひとりは老人、2人が若い男性だった。若い男性は両者とも背が高く、磨きこまれた厳つい鎧に長剣を下げていた。老人は濃紺色の仕立ての良いローブを着ており、身に着けるアミュレットを見ると魔法士のようだった。
 確かにこの雑貨屋は武器防具も扱っているし、何が起こるか分からない不思議な商品とは別に、魔法道具と明記された商品もある(その商品も正確な効果を保証されるものではないようだが)。戦士や魔法士が来てもおかしくはない……しかし、リームは嫌な予感がした。
「リーム様……ですな。おぉ、確かに面影があるではないか……」
 感動にうちふるえるように老人が言う。リームは弾けるように駆け出した。店の奥、カウンターへ向かって。
「お待ちくだされ!」
 老人はリームのあとを追い、戦士の1人は中央のテーブルをまわりこんでカウンターを飛び越え、裏口の前に立ちふさがった。もう1人は老人の少し後方につく。しかし、リームの目的は出口ではなく、カウンターの上だ。
 チリンチリィーン……
 澄んだ音色が鳴る。呼び鈴を鳴らしたリームはほっと表情を和ませて、くるりと振り返り、老人と戦士を睨んだ。
「帰ってください。私は貴族の養子になるつもりはないって、何度も言ってるはずです!」
「何をおっしゃいます、リーム様。養子ではなく実の子であると、お伝えしてありますぞ」
「そんなの何の証拠もないじゃない! 神殿には他の子も沢山いるんだから、貴族の子になりたい娘を選んで適当に連れて行けばいいでしょ!」
「信じてくだされ、あなたこそが、由緒正しいストゥルベル家のご令嬢なのですぞ。母君がお帰りを心待ちにしております」
「だから、証拠もないのに信じられないし、信じたくもないしっ! とにかく私は嫌だって言ってるのっ!」
「ぐうぅ、この聞き分けのないさま、あの黒タヌキを思い出させるわい……!」
 しかめ面に青筋を浮かべた老人は、節くれだった手をアミュレットにかけた。リームは老人や戦士を睨みながら、ちらちらと階段や店の扉を見る。こんなときに限って、店主は戻りが遅い。
「とにかく、母君の元へ連れ帰るのが我らの使命。あまり抵抗されぬようお願いいたしますぞ、怪我いたしますゆえ」
 老人の言葉に、戦士が動いた。
 リームは再び呼び鈴に手を伸ばす。
 その時。
「お待たせしましたー、店主のティナです。何か御用でしょうか」
 緊迫した空気をものともせず、場違いな営業スマイルで階段を駆け下りてきたのは、不思議な雑貨屋の不思議な店主ティナだ。
「ティナ! 遅いです!!」
「ごめんごめん、ちょっと遠出してたのよ。で、どうかしましたか? なにか商品に不都合でも?」
 ――どうやらティナは本気で状況が分かっていないようだった。
「ふむ。店主殿、私どもは、とある高貴なお方の使いでしてな。こちらにおられるお嬢様を屋敷へご案内せねばなりません。店主殿からも言ってくださるかな?」
 老人はするりと懐に手を入れると、数枚の金貨をカウンターの上に置いた。
「騙されないでください、ティナ! こいつら、人攫いなんです!」
「お疑いになるなら、街の治安部隊を呼んできて下さっても構いませんぞ。店主殿はご存知ないでしょうが、治安部隊でしたらこの紋章に見覚えがあるでしょうからな」 
 戦士たちの鎧に刻まれた紋章を示して、老人は堂々と胸を張った。ちょっと首をかしげるティナの表情に変化がないことを見て取ると、カウンターの金貨をさらに数枚増やす。
「少々急いでおりましてな。面倒なことは避けたいのです。あまり欲をかかないことですぞ……私どもは手荒な手段を好みませぬが、そのすべが無いわけではございませぬ」
 キンッ、と戦士が鍔を鳴らした。リームは不安げにティナと戦士を交互に見つめる。ティナはやっと納得したように手を打って言った。
「あぁ。もしかして、何回もリームに追跡の魔法をかけてたのって、あなたたち?」
「えっ、何回もって……聞いてないですっ!」
「だって、その都度言ってたらリーム不安になってたでしょ? だから黙ってたのよ」
「……なんのことかは存じませんが、ご協力いただけないと考えてよろしいですかな」
 若い女店主にまわりくどい手を使うこともないと諦めたのか、老人が片手をあげ、呪文を唱えた。
「Блж−δζμё δζ−лжБл−ж……」
 共用語より長音が多く、音の上がり下がりがなめらかな、歌うような言語――魔法語。正しく発音するだけでは駄目で、実用性のある現象を引き起こすためには、ある一定以上の魔力を持つという生まれながらの素質が必要である。才能と知識と技術、その3つを併せ持った者を『魔法士』と呼ぶ。
 呪文を唱えた老魔法士の手の先に光が灯り、するりと細長く縄のように伸びた。空中をうねりながら飛び、ティナの胴体に巻きついてその動きを封じる。
「ティナ!!」
「さぁ、参りましょう、リーム様」
 カウンターに置いた金貨をしまうことを忘れずに、老魔法士がリームに語りかける。しかし、その言葉が終わらぬうちに、ティナの口から呪文がつむがれた。
「むぅ!? 魔法士かっ」
 老魔法士が振り返るころにはすでに呪文は完成し、光の縄は霞のようにかき消える。
「んー、やっぱり追跡の魔法は別の人かな? こんなひねりの無い魔法じゃなかったし」
 にっこりと笑顔をみせるティナを、老魔法士は眉間にしわを寄せて睨みつけた。
「ふん、小娘が。格の違いを見せてやろうぞ…………Блж−δζμё……」
「йф・ξθи」
 ティナの呪文の一言で、老魔法士の準備していた魔法が打ち破られる。
 老魔法士は驚愕の表情を浮かべ、何か言うその前に、裏口で待機していた戦士が動いた。剣は抜かず、後ろからティナにつかみかかる。ティナは笑みを浮かべたまま、逃げる素振りも見せない。ただ呪文を唱えた。――そして戦士は光に覆われ、その場に倒れる。
「おぬし、何者……」
 そう呟く老魔法士の姿も、光に包まれ――その光がアメジスト色に染まったかと思うと、ふっと空中に溶け消えた。老魔法士も2人の戦士も、光と一緒に姿を消し――何事もなかったかのような静寂が店内におとずれる。
「んー、ちょっとやりすぎたかなー」
 卵焼きがちょっと焦げちゃったな〜とでも言うような雰囲気のティナに、ひたすら状況を見守るしかなかったリームが我に返った。
「ティナ、すごい! 実はものすごい魔法士なんじゃないですか! もしかして、『青』に所属してたりするんですか!?」
「いやいや、そんなことないってー。あっちが弱かっただけ。てゆーか、リーム、詳しい話聞かせてもらえるんだよね?」
 そう言われてしまっては答えないわけにはいかず。
 カウンターの内側に椅子を2つ並べお茶を用意してから、隠していたわけじゃないんですけどと前置きしつつも、リームは話し始めたのだった。



 リームが育ったのは、王都クロムベルクにあるピノ・ドミア神殿という場所だった。
 王都の中でも城に近い中心部、貴族の邸宅が並ぶ地域にあるその神殿は、騎士や貴族が出入りする壮麗な造りの大神殿だ。
 そして、このピノ・ドミア神殿は、もうひとつの顔――孤児院としても有名だった。
 神殿に孤児院があるのは珍しいことではない。しかし、ピノ・ドミア神殿は、その孤児のほとんどが訳あって貴族の親に捨てられた子であるという点において、他の神殿とは大きく異なっていた。
 妾の子供であるため、未婚の母であるため、将来跡継ぎ問題をおこさないため。理由はさまざま、捨てられる年齢も様々である。どこの家の子であるか分かり、親がこっそり面会に来さえする子供もいれば、布ひとつにくるまれて神殿の前に置き去りにされそれっきりだという子供もいる。
 布施に苦労していないピノ・ドミア神殿では、孤児にも街の商人などが通う学舎並みの教育をあたえていた。公用語の読み書き、計算から、簡単な地理まで。神殿の雑務の手伝いや、街外れの畑で農作業はあるものの、衣食住に教育までついている環境は、貧しい農村の子供などより余程恵まれた生活と言えた。

「でも、私たちは捨てられたんです。預けられたんじゃない。もし本当に世間から隠したいだけなら、どこか遠くの街で使用人と乳母に育てさせればいいんですから。神殿に置いていくということは、縁を切ること。それを今更、やっぱりうちの子ですー、なんて、ねえ」
「うーん……でもほら、何か事情があったとか」
「事情なんてあって当然。だって、オトナの事情ってやつがまったくなければ、私たちは全員捨てられてなかったはずですもん」

 いくら恵まれた生活が保障されていても、自分が親にとって『存在しては困る子供』であるという現実は、子供たちの幸せに影を落とし続けた。
 親は、愛する子供の幸せを考えてピノ・ドミア神殿という場所を選んだのだと、神官からは聞かされてはいるが――頭で理解はできても、素直に納得できぬ部分はある。

「そもそも最初は、養子が欲しいってことだったらしいんですよ。たまにあるんです。子供のいない貴族や商人が、そこそこ教育の行き届いた手頃な子供を探して神殿に来ることが」
 ふんっと鼻を鳴らすリームは、大人びた口調であるが子供っぽい憤りがありありと見えた。
「で、私が指名されたんですけど、貴族って好きじゃないんで断わったんです。そしたら、実は本当の子なのでどうしても私で、とか言い出して……信用できませんよね? ね?」
「それはまあ、そーかもねぇ」
「だから、神殿から逃げ出したんです」

 前例はあった。むしろ、珍しくないことだった。
 貴族の養子になることを拒んで、あるいはその生まれによる特殊な事情で。なかには単に神殿の規律に嫌気がさしてという者もいたかもしれない。
 ピノ・ドミア神殿の孤児たちの間では、神官たちには秘密の脱走方法が確立されていた――どちらかというと黙認されていた、ということなのだろう。有力商人の養子となり今では商業ギルド有数の実力者となった元孤児とその仲間たちによる紹介状の用意、まぎれこむ荷馬車の手配。ピノ・ドミア神殿とそこに集う孤児たち、そして神殿を出ていった孤児たちが特殊であるからできることだ。
 割り当てられている身の回りの品を袋に詰めれば、ひとかかえで済んでしまう。路銀の足しになりそうなものを神殿に残る仲間達が少しずつ提供してくれるのが慣習になっていた。

 別れの刻は、夜が明ける前。漆黒に塗られた夜闇が、わずかに蒼みかかったころ。
 紹介状はもう手に入れていたし、商品を運ぶ馬車にまぎれこませてもらう手配もすでにできていた。
 リームは元々15歳になったら神官の道を選ばず、独り立ちしようと思っていた。夢もある。それに向かうのがちょっと早くなっただけだ。
 不安な気持ちを振り払い、運命の女神へと祈りの言葉を呟くと、神殿を駆け出した。
 仲間たちと離れ、かりそめの親の手を拒み、たったひとりで生きる道へ――。

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