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雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 1 「黒竜の守護する国」



(5)それでも不思議な日々は続く


 雲の合間からちらちらと星がきらめく夜。
 港町ストゥルベルの高台にある領主の城に、黒く巨大な影が舞い降りた。
 魔法の明かりでそれを向かえる魔法士たち。一列に並ぶ衛兵たち。中庭は物々しい雰囲気に包まれている。
 ティナとリームがその背から降りたのを確認すると、黒き竜は闇に包まれてその形を変えた。
「王妃ファラミアル殿下とそのご友人、ご到着ーー!!」
 衛兵達の敬礼に、優雅にドレスの裾を払いながらファラミアルは微笑みで応えた。


「……やっぱり帰っちゃダメ?」
「何言ってんの〜。ここまで来たんだから、顔ぐらい見ていきなよ」
 ふかふかの絨毯が敷かれた石造りの廊下を、侍女に案内されながら歩いていく三人。
 リームにしがみつかれっぱなしのティナは相変わらずの笑顔だ。やたら仰々しい出迎えにも、城の重厚な装飾にも何の驚きも受けないようで。
「ティナって……宮廷魔法士だったんですか?」
「え、何で???」
 そのリームの質問にこそ、一番驚いたようだった。
 お召し物をご用意いたしました、と案内されたのは、衣裳部屋だった。つやつやと光る上質の布でできたドレスは、どれも繊細な刺繍のレースがふんだんにあしらわれており、街の店では見たこともない。しかし、リームは頑なに着替えを拒んだ。それが自分に似合うとは到底思えなかったし、なんだかドレスを着てしまえば貴族の世界に入ってしまうような気がしてイヤだったのだ。
 侍女にしか見えない姿の自分を見れば、母親だと自称する人も子供にするなんて言わないに違いない。
 そう思いながら……胸の奥は何故か重かった。


「わたくしは、別の部屋に居りますわ。リーム、緊張しなくていいのよ。いつも通りのあなたでいてちょうだい」
 侍女が左右に控えた大きな扉の前。ファラは優しくリームに声をかけるが、リームは緊張の余り言葉が出ず、ただこくこくと頷くしかなかった。
「あー、私も別室にいたほうがいいのかなー?」
「ダメ! それはダメ!!」
 この上ティナにまで離れられたら不安すぎる。リームは必死の思いでティナの服を掴んだ。もうティナの服のすそは握られっぱなしでしわくちゃだ。
「わーかった、わかったから。ほら、さっさと行きましょ」
「ちょ、ちょっと待ってください。まだ心の準備が……」
「んなもん、いつまでたってもできないものでしょ。さ、お願い」
 ティナが侍女に合図すると、目の前の扉がゆっくりと開かれた。
 リームは、どきどきと鳴る自分の心臓の音でまわりの音がよく聞こえない。
 ――部屋の中は白を基調とした家具が並び、豪華な中にもすっきりとした調和のある部屋だった。
 花が飾られたテーブルセットと柔らかそうなソファは無人。奥に続くもうひとつの部屋に、なんだか人だかりが見えた。
「ほら、行くよ」
「うぅ……」
 ティナに半ば引きずられるように部屋へ入るリーム。奥の部屋には、何人もの侍女に囲まれて、床にうずくまっている女性がいた。背を向けているので顔は見えないが、流れるような金髪がごく淡い桃色のドレスに映える。
「フローラ様、リーム様がおみえになりました」
「あ……」
 侍女の声に、女性は驚いたように息をのんで、そして――振り返った。
 大きく見開かれた翡翠の瞳、陶器のような白い肌は頬にほのかな赤みがさして、人形のように愛らしい。まさに貴族のお姫様というに相応しいひとだった。
 このひとが……母親? まさか、何かの間違いだ。母親どころか、結婚しているようにすら見えない。
 リームと女性が見つめあったのは、ほんの一瞬だった。
 振り返った女性は、突然、その大きな瞳からぽろぽろと涙をこぼした。
「ああ……リーム、私……」
 ひっくひっくと泣きじゃくる女性。周囲の侍女は慣れた様子でハンカチを何枚も準備している。
 ――ええと、どうすればいいの? リームはティナを見上げるが、ティナは意味ありげな視線を返してくるだけ。
 もう一度、女性に視線を戻す。めそめそと泣き続けるお姫様。言わなきゃ。私は貴族の子になるつもりはないって。
 口を開いて、息を吸って……でも声が出てこなくて。
 リームは――逃げ出した。
「ちょっと、リーム!?」
 ティナの声を振り払うように、驚く侍女を押しのけて、部屋の外へそして城の外へと向かって駆けてゆく。
 このままもう一度逃げ出そう。私は誰の子にもならない。貴族なんて二度と関わらない。
 女性の泣き顔がよぎる。あの女性は私に何を言いたかったのだろう。泣き顔はとてもつらそうで、でもどこか嬉しそうだった。
 しかし無心に走るリームに、複雑な城の出口を見つけられるはずがなく。
「……あれ?」
 いつのまにか自分がどこにいるのか、分からなくなってしまったのだった。



 雲はだんだんと晴れ、細い月が夜闇をほのかに照らしている。
 使用人たちの目をかいくぐり、たどりついたバルコニーから空を見上げて、リームは何度めか分からないため息をついた。
 ティナと一緒に店に帰らなくちゃ。でも、ティナはまだあの部屋にいるのだろうか。もう戻るのは……あの女性に会うのはイヤだった。
「こんなところで何をやっているんだ?」
 急に後ろから声をかけられて、リームはとっさに逃げ出そうと身構えつつ振り返る。
 そこに立っていたは黒を基調にしたローブを着た男――宮廷魔法士ラングリーだった。飄々とした笑顔に、リームは緊張を解いた。
「私、もう帰るんです。親だっていう貴族のひとにはもう会ったし。ティナが今どこにいるか知りませんか?」
「さあなぁ? それにしても、フローラが泣きっぱなしだったぞ。まぁどちらにせよ泣くだろうことは予想してたけどな。あいつは涙姫って呼ばれるぐらい泣き虫だから」
「……関係ないです」
 フローラというのがあの女性のことだというのは分かったが、それを自分に言われても困る、とリームは思った。ラングリーはそんなリームを見て苦笑した。
「あれが母親だとは、ちょっと信じられないだろうな。でも本当なんだぞ? 目元なんてよく似てるだろう」
「似てないです!!」
「はっはっは、まぁそう言うな。フローラだって無理やりお前を貴族にしようなんて思っちゃいないんだ。ただ、一度本人に確かめて、自分を納得させたかったんだろうよ」
「じゃあ、伝えといてください。私は貴族にはなりませんって」
「いやいや、ここまで来たんだから自分で言うんだな。せっかく俺が王妃様に頼んでご足労を願ったというのに」
「大きなお世話、とんだ迷惑です!」
「来てしまったもんは仕方ないだろう? ちょっと見てな」
 ラングリーは流れるように呪文をつむぎだした。ついついリームは見惚れてしまう。ラングリーの差し出した右手の上に、水面のようなゆらめく映像が現れる。花が飾られたテーブルセットは、あの部屋のものだ。
 侍女に囲まれてソファーに座るフローラ姫と、向かいの席に座るティナが見える。確かに比べてみるとフローラ姫のほうが年上に見えるが、10も離れているようには見えない。本当に自分の母親なのか、ちっとも信じられないのも当然に思える。フローラ姫は相変わらずぐずぐずと半分泣いていた。
『でも、リームは私のことが嫌いなようだから……』
『いやあ、嫌いというよりもどうしたら良いか分からないだけだと思いますよ』
『でもでもっ、きっとがっかりしたわ。自分の母親がこんな頼りない泣き虫だなんて……』
 と、言いつつも再び本格的に泣き出すフローラ。侍女がさっとハンカチを取り出す。ティナは肩をすくめた。
『まずは、しっかり自分の考えを伝えることですね。フローラさんは、どうしたいんですか?』
『私は……ただ一緒にお茶を飲みながらお菓子を食べたり、中庭を散歩したり、あとラングリーに花畑に連れて行ってもらったり、そういうことをしたくて…… あと、謝りたくて』
 翡翠色の瞳に涙をいっぱいにためて、少女のようなお姫様は、母親の眼差しで言った。
『寂しい思いをさせてごめんなさいって。もう、お母さんだなんて呼んでもらおうとは、思ってないの。ただ、3人で仲良く一緒にいたいから』
『なるほどね……さぁ、リームはどう思う?』
 ティナの視線が、映像越しにリームと合った。ゆれる魔法の水面の向こう、フローラや侍女がきょとんとする中、ティナは何気なく腕をかるく振った。
 紫色の光がバルコニーを包む。ぐらりと浮遊するような感覚、ゆがみ、薄れる周囲の風景。次の瞬間には、リームはあの部屋に立っていた。
「リーム! ラングリー!」
 フローラが声をあげる。一緒についてきてしまったらしい宮廷魔法士は、この歩く人外魔境がと笑顔でティナに悪態をついた。
「どこらへんから聞いてたの? リーム。『頼りない泣き虫なんて』ぐらいから?」
 面白がるように聞くティナに、リームは淡々と応えた。
「……いえ、『私のことが嫌いなようだから』です」
「あああああの私はその……ええと……ねぇどうしましょうラングリー?」
 相変わらず半分泣きながら慌てふためく様子に、親近感を感じてしまったのは事実で。
 リームは緊張にふるえる声を振り絞って言った。
「私は……私には、親はいません。孤児として生きてきて、これからも一人で生きていきます。でも」
 ぽろぽろと涙を流しながら、じっと自分を見る若い母親を、リームも目をそらさずに見つめた。
「……お菓子を一緒に食べるぐらいなら……たまになら、ここに来てもいいです」
「あ、ありがとう……リーム」
 ひっくひっくとしゃくりをあげて泣くフローラ。照れくさくなってリームはティナに視線を移した。ティナは満面の笑みでうんうんと頷き、ふとラングリーに目を向けた。
「で。何か言うことはないの? ラングリー」
「ん? 俺ですか? いや別に……良かったなぁ、丸く収まって」
 すっとティナの目が細まる。なんだか意地の悪い微笑みだなあと、リームは思った。
「リームが孤児院に送られた理由、聞いたのよ。フローラさんが他国から婿を迎えてこの領地に引っ越す前。クロムベルク城にいたころに、すでに生まれていた子だからってね」
 話の見えないリーム、気まずそうにする侍女たち、そしてフローラはまだ鼻をすすりつつも不思議そうな顔でラングリーに言った。
「あら、ラングリー、まだリームに話してなかったの? あなた先にリームに会いに行ったものだから、てっきりもう話しているのかと」
「いやほら、言い出しにくいだろう、俺の立場的にはな。ただでさえ思春期の娘は難しいって話だしなあ」
 ラングリーは頭をかく。リームは、訳ありの子供しかいないピノ・ドミア神殿という場所にいたせいで、大人の事情はなんとなく断片的に理解できた。おぼろげに話が見えてきて……しかし信じられない気持ちが強くて。
 そんなリームの心中は察せられることなく、フローラは恋する少女の微笑みで言った。
「リーム。ラングリーは、あなたのお父さんなのよ」
「……そういうことだ、リーム。お前がフローラと仲直りして、お父さんは嬉しいぞ。はっはっは」
 ラングリーの開き直った笑顔に、リームは驚きで頭の中が真っ白になりながらも、フローラと対面したときには吹っ飛んでいた怒りがふつふつとわいてくるのを感じた。
 雑貨屋に来たときも、バルコニーで会った時も、自分の娘だと分かっていたのだこの男は。ここまで黙っておいて、しかも最後まで隠し通そうとして、その一方で自分には母親にちゃんと伝えろとか言ってきて!
 なんだかとってもバカにされている気がしてきた。いや、実際バカにされてるに違いないと確信した。
「あんたなんて……父親とは認めない! のぞき魔! 無責任男!」
「ほらみろ、フローラ、嫌われたじゃないか」
「あらまあ、リーム……これって反抗期なのかしら」
 何故かフローラはちょっと嬉しそうで、そのやり取りがまたリームの気に障った。まるで子供を見る夫婦のようではないか。なんだかその場に居るのがイヤになって、リームはティナに駆け寄った。
「ティナ、帰りましょう。もう用事は済みましたよね」
「えぇ? いいの?」
 くすくすと笑うティナは、事の成り行きを楽しんでいるようだ。まったく他人事だと思って、と、リームは思いつつも、今はこの場から去ることが最優先だった。
「いいんです。どうしてもって言うならまた来ますから。宮廷魔法士のオジサンのいないときに!」
「オジサンって、リーム、お前な……」
「あーあーあー、ほらティナ、もうさっきの紫色の光のやつでいいですから、帰りましょ! 約束ですよね!」
「まー、そう言われちゃあ仕方ないわね……じゃ、王妃様によろしく伝えてちょうだい」
 ティナが手を振ると、ティナとリームのまわりを紫色の光が包み込んだ。薄れる部屋の景色の中、寄り添うフローラとラングリーの姿がリームの記憶に深く刻み込まれた。あれが、両親。王家の血を引く姫と、宮廷魔法士。まるで御伽噺だ。自分には……関係のないこと。ただ、泣き虫なフローラ姫が一緒にお茶を飲みたいって言うから、それぐらいはしてあげてもいいかなって、そう思うだけで。
 ――次の瞬間には、もう見慣れた雑貨屋の店内だった。
 竜の背に乗って、お城へ行って。夢だったらいいなって、思わないでもないリームだったが。
「本当のことなんだよ、ねぇ」
 つぶやきに予期せずティナが応じる。
「本当のことだけど、別に問題のないことでしょう。どんな事情があったって、リームはリームだもの」
「そう、だよね……うん。私、明日もお店がんばります」
 そう、何も変わらない。私は私だ。これまで通り、ちょっと奇妙な雑貨屋で働いていけばいいだけ。リームとティナは笑顔を交わして部屋へあがっていった。



「ねぇ、一体どうなっているの? このホウキ」
 くねくねと踊るホウキをカウンターに置いて、三角巾にエプロン姿の中年女性は言った。
「ものは試しと買ってみたけど、やっぱり噂どおりねぇ。魔法なのかしら?」
「はぁ、申し訳ないです。代金はお返ししますので……」
 店主ティナは、もはや慣れきった謝罪と返答をするが、中年女性は返金を求めているわけではないらしく。
「いえね、私はこれがどうなっているか知りたくて」
「さあ……私にも分からないです」
「あなたが店主なのでしょう?」
「ええ、私も困ってます」
「それは大変ね……」
 結局その中年女性は帰っていったが、くねくね踊るホウキは珍しいからと持って帰っていった。
「奇特な人もいるものですね、ティナ」
「うーん……そうね」
 どうもティナは不良品(?)を持っていかれたことに不満なようだった。リームとしては逆に奇妙な道具として売り物にしてしまえばいいのではないかと思う のだが、ティナは普通の雑貨屋をやりたいと言い張るのだ。
『はっはっは、この雑貨屋も先が思いやられるなぁ』
 急に聞こえてきたのは、陽気な男性の声。リームはとたんに眉をしかめた。店の窓辺に地味な小鳥がとまっている。その鳥から声は聞こえるようだ。
「ティナー、のぞき魔のオジサンが用事ですってー」
『オジサンはやめるんだ、リーム……お父さんと呼べとは言わないが、せめてお兄さんと』
「年齢を考えて言ってよね、ロリコンおやじ」
『どこでそんな言葉覚えたんだ? フローラはあれでも29なんだぞ、俺と5つしか違わん』
「うっそ、フローラ様、そんな年!?」
 やっと20代にさしかかったようにしか見えない母親の年に驚愕するリーム。そんな親子のやり取りをティナは微笑ましく見守っていた。
『フローラは名前で呼ぶのか、そうか……まぁいい。今日は手紙を届けに来ただけだからな。お茶会の招待状だそうだ。ちゃんと行ってやれよ』
 小鳥は光の球へと姿を変え、一通の手紙を残して消えていった。
 家紋の付いた封筒の差出人には少し丸みのある丁寧な字でフローラの名前が書いてあった。そして表書きにはリーム・キティーア・ストゥルベル殿と書いてある。
「そんな名前だったのね、リーム」
 手紙を覗き込むティナに、リームは少し目を伏せた。
「……知りません。私はただのリームですもん」
 突き放したように言いつつ、胸はじんわり温かい。照れくさいけど、いやな気分とは違う。
 こういうのも悪くないか。
 リームは抱いた暖かな気持ちを否定せず、手紙の封を開けたのだった。


― 雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 1 「黒竜の守護する国」 終―


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