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雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 2 「青の魔法監視士」



(2)ストゥルベル城のお茶会

 周囲のアメジスト色の光が薄れてくると、見えてきたのは壁際の棚に積まれた大きなタルだった。
 後ろを振り返れば、そこにもタルが積まれている。左右には通路が続いており、それほど広くはない石造りの部屋だ。
「……ここ、どこ……?」
 リームが呆然とつぶやくと、ちょっと湿っぽい匂いと同時に酒の匂いがした。もしかしたら酒蔵なのかもしれない。
 アメジスト色の光が完全に消えると、あたりは真っ暗になってしまった。リームは〈小さき光〉を唱えて指先に光を灯す。光の維持にはコツが要るが、仮にも魔法士を目指すリームである。神殿にいたころは大人の目を盗んでよく練習したものだった。
 あれからティナは、丸々1刻近く自分の部屋から出てこなかった。そして出てきた時には1冊の本を持っていた。
 本というよりも装丁された白紙の束といったようなもので、最初の数ページだけ手書きで文字や図形が描かれていた。ティナが自分で書き込んだものかもしれないし、そうでないかもしれない。
 尋ねてみると、そのページに書かれているのは空間移動の魔法なんだそうだ。リームも興味津々で読んでみたが、神殿の子供同士の間で培った程度の知識では、まったく理解できなかった。
 その魔法を使うにはある程度広さが必要だそうで、ふたりはリームの部屋に移動した。リームを部屋の中央に立たせ、ティナが本を見ながら呪文を唱えていくと、床に細い光の線で魔法陣が描かれていく。
 いつもは指の一振りでぽーんと空間移動の魔法を使うくせに、今になって本を見ながら呪文を唱えるのは、やはり『青』の存在を気にしているからとしか考えられない。いつも使っている魔法には『青』に知られたくない何かがあるのだろうか。
 疑問に思いつつ空間移動の魔法で送られた先は、見たこともない酒蔵らしき場所。これまでお茶会に送ってもらう時は、ストゥルベル城の中庭に出ていた。こんな酒蔵に出るのは初めてだ。
 扉に手をかけ押してみると鍵はかかっていないようで、リームはほっと安心した。そのまま扉を抜けて、続く階段を登ると、食料庫のような場所に出た。ここは窓があるので薄明るい。リームが指先の光球を消して、物音が聞こえるほうへ歩いていくと、大きなカゴに布をたくさん抱えた女性がいた。その女性はリームと目が合うと、リームが何か言うより先に言った。
「ん? お前、こんなところで何やってるんだい? まだエプロンを受け取ってないじゃないか。新人が遅刻すると叱られるよ」
「えっ、あの、私は……」
「この城は広いからね、慣れないうちはうろうろしないほうがいい。あ、ほら、エメルダーっ。この子、そっちの子だろー?」
 部屋の反対側を通りかかった別の女性を呼び止めると、そのエメルダと呼ばれた女性はちょっと首をかしげながらもリームの側に来た。
「あら、今日は3人って聞いてたけど、4人だったのかしら? まぁいいわ。いくらいても足りないぐらいだもの。さ、もうみんな持ち場に分かれて仕事を始めてるわよ。あなたはそうね、西階段をお願いしようかな」
「あ、あの、ちょっ……!?」
 リームはあれよあれよと言う間にてきぱきとエメルダに連れて行かれ、大きな階段の側でエプロンとホウキを渡された。
「階段掃除の基本は上から下へ、ね。まず5階まであがってから、1段ずつ掃いて降りてきてちょうだい。目上の人が通るときは端に寄ってお辞儀をするのよ。終わる頃に私がまた来るけど、何か分からないことはある?」
「す、すみません、私は……」
 と、そこまで言ったが、リームは次の言葉が見つからなかった。
 自分は何だと言うのか。フローラ姫の……娘? いやいやいやいや、絶っ対に、そんなこと、言えない。
 じゃあ、友人? それも無理がある。年齢もあるけれど、こんな使用人以外だと微塵も疑わせない格好をしていて、信じてもらえるはずがない。
「……いえ、なんでもないです」
 仕方なくリームはそう言ってエプロンをつけ、階段を登り始めた。まわりに誰もいなくなったら中庭を探しに行こう。やっぱり私がこんなところに来るなんて、不釣合いなんだよなぁ……。
 目線を下に落としながら階段を登っていくと、上の階からぬおぉぉぉ!?という妙な声が聞こえて、リームは何事かと顔をあげた。
 ばたばたばたと階段を降りてくるのは、濃い緑色のローブにアミュレットをつけ長い杖を持った、どこかで見たことのある老人だった。
「りりりりリーム様!! なぁにをやっておられるのですかぁ!?」
「あ。ロデウォードさん」
 ロデウォードはリームをレンラームの街まで追いかけてきたストゥルベル家付きの老魔法士だ。追手として出会った時は気に食わないやつだったが、今は某タヌキオヤジ宮廷魔法士を敵視する点では共感が持てる相手だった。
「一体誰がこのような仕打ちを!? ストゥルベル家の次期当主となられるお方になんってことをーっ!」
「いえ、違うんです。ちょっと空間移動の魔法で間違いがあって、いつもと違う場所に出ちゃって」
「ああ、おいたわしやリーム様。一刻も早くあの恐ろしい店から離れるべきですと、申し上げておりますのに」
 ティナの魔法で簡単にあしらわれてから、ロデウォードはティナのことを極端に怖がっているようだった。人間ではないとさえ言っていたこともある。大げさな言い方だとその時は思ったのだが……『青』のこともあって、ちょっと気になってきた。
「……ティナって、人間じゃないんですか?」
 小さく尋ねたリームの言葉に、ロデウォードは大きく何度もうなずく。
「えぇ、そうですとも。あの魔法の扱い方、あの魔力、人間ではありえませぬ。私どももですが、何よりフローラ様が心配しておられます。さぁ、もう今すぐにでも城に住まわれては」
「それはないです、ごめんなさい。――あ、私、お茶会に呼ばれているんです。中庭はどっちですか?」
「おぉ! フローラ様とお茶会でございますか! それは早く行かなければなりませぬな。ささ、こちらでございます」
 ティナが人間じゃない、かぁ……。ロデウォードの後ろに続きながらリームは思った。
 この世界には、人間以外にも人間に似た姿形の種族がたくさんいる。王妃様のような竜族の他にも、精霊族、妖精族、光族、闇族。みんな人間は足元にもおよばぬような魔力を持つという。
 半ば伝説上の存在である光族と闇族は、希少すぎて見たことがない。精霊族や妖精族は、王都であれば少ないながらもそれなりに数がいてリームも見たことがあるが、どんなに人間に似た姿のひとでも耳の形や肌の色などが明らかに違っていた。
 ただ王妃様を見ると、人の姿をとった竜族は人間とまったく区別がつかないように見える。もしかしてティナは竜族なのだろうか。だとすれば王妃様と知り合いだったことも納得できる。
 そうだとしたって、別に隠さなくても、言ってくれればいいのに、とリームは思う。街の人に隠しても、『青』に隠しても、私には言ってくれても……いいんじゃないかなって。
 姉妹みたいに思っていたのは自分だけだったのだろうか。ティナにとっては、自分はただの雇われた店番に過ぎないのだろうか――。



 空はなんとか雨の雫を抱え込んでくれたようだ。薄明かりの白い空の下、初夏の花々に囲まれた可愛らしいテーブルセットに、そんな美しい中庭がとてもよく似合う可愛らしいフローラ姫が侍女数人に囲まれて座っていた。
 毎回ながら、顔を合わせた瞬間にぽろぽろ泣き出すのはなんとかならないものかと思ってしまう。だって嬉しいんですもの、が本人の言葉だ。それだけでなく、花が綺麗とか、小鳥が可愛いとか、何を見てもぽろぽろ涙をこぼす。涙姫の名は伊達ではなかった。
 香りの良いお茶を飲み、小さくて驚くほど美味しいお菓子を食べながら、そんなフローラ姫のお話を聞く。最初は緊張疲れをしたものだが、回数を重ねるうちにリームも慣れてきていた。
「それにしても、リーム。ちょっと元気がないんじゃないかしら? 何か心配事でもあるの……? うううっ、かわいそうに……っ」
「想像で泣かないでください、フローラ様。別に心配事なんて……」
 ないです、と言おうとして、一瞬ためらい、リームはお茶を一口飲んでから続けた。
「……フローラ様は、ティナのこと、何か聞いてますか? その……例えば、王妃様からとか」
 フローラ姫は侍女から受け取ったハンカチで目元を押さえつつ、ちょっと小首をかしげた。30近い年齢とは思えないほど可愛らしい。私も金髪で色白だったら良かったのにな、とリームは思ってしまった。
「そうね、リームも聞いているかもしれないけど、ファラミアル様とエイゼル様が駆け落ち状態で森に立てこもっていた頃、エイゼル様を連れ戻せる風従者を募集したそうでね。その中にティナさんとそのお仲間さんたちがいらっしゃったらしいの」
「えっ、そうなんですか!? 初めて聞きました……王様と王妃様の逸話って作り話がほとんどだと思ってましたけど、本当にあったことなんですね……」
 黒竜と王子の種族を超えた恋物語。数多の吟遊詩人が歌い、戯曲が演じられ、物語が著され――クロムベルク王国だけでなく、世界中で知られる『生きたお伽噺』だ。
 風従者とは、『旅する何でも屋』とでもいうような存在で、大抵は魔法士や精霊使いとそれを護衛する戦士という組み合わせが多い。ティナが以前風従者をやっていたという話は少し聞いたことがあった。しかし、王妃様と国王様に関わったという話は初耳だ。
「結局、説得されたのはエイゼル様ではなくて、先王だったそうよ。おかげで今のクロムベルクがあるのだから、ティナさんやその時の風従者の皆さんの功績は大きいわね……うううっ、感動的っ……」
「んーと……ティナって……竜族なんですか?」
 竜族だから黒竜であるファラミアル様に味方した、と、そういうことなのではないだろうか。しかしフローラ姫は、惚れ惚れするほど可愛らしく小首をかしげて言った。
「あら、そうなの……? 私は人間だとばかり思っていたけれど。確かにファラミアル様とエイゼル様のご結婚は18年前だから、普通に考えるとティナさんの年齢はおかしいわね」
 どう見ても本来の年齢より10歳以上若く見えるフローラ姫が言ってもあまり説得力がなかったが、確かにそのころ風従者をやっていたならティナは今少なくとも30代半ばのはずだ。
「フローラ様は……ティナが竜族だとしたら、一緒に居るのは危ないと思いますか?」
「あぶない? 何故かしら。この国は王妃様に守護されているのよ」
「……ですよねぇ」
 こと『黒竜に守護された国』クロムベルクにおいて、竜を敬う者は多くても恐れる者は少ない。その力に畏敬の念は抱くが、その力は国を守り、正しいことにふるわれるのだと心から信じているのだ。
 やっぱりロデウォードはフローラ姫が心配してるなんて嘘言ってたんだな。リームは老魔法士に対する心の中の信用ランクをぐぐっと引き下げた。
「でも、ティナさんが竜族だとしたら、隠したくなるのも当然かもしれないわね。今でこそ王妃様のおかげで竜族のイメージは良いけれど、18年前はそれはもう大騒ぎだったもの。王子が黒竜に食べらた〜だなんて言われてたのよ。そうそう、私はそのころちょうどリームと同じくらいの年齢ね……うううっ、リーム、こんなに大きくなって……嬉しいわっ」
「な、泣かないでくださいってばっ」
 リームはちょっと赤面しながら、もじもじと指をくんだりほどいたりした。若くて可愛らしいフローラ姫が母親然としたことを言うのは似合わなさすぎて、恥ずかしくなってしまうのだ。きっとそうだ。
「奥方様、そろそろお時間でございます」
「まぁ、もうそんな時間なの……うううっ、もうちょっと一緒にお話したかったけど、残念だわ……また遊びにきてちょうだいねっ……」
 涙をハンカチでふきながら言うフローラ姫に、リームは子供をなだめるかのような笑顔でハイと答えるしかなかった。


 いつもはお茶会が終わる頃に迎えに来てくれるティナ。今日は果たしてちゃんと来てくれるのか心配だったが、いつもの時間通りにティナは現れた。ただし、小脇には例の本をかかえている。
「今日のお茶会は楽しかった?」
「お茶会は別に普通でした。けど、到着したのがいつもと違う場所で大変だったんですよ」
「あー、そうなんだ。ごめんごめん。帰りは気をつけるから」
 そうして本を開き、呪文を唱え始めるティナ。間近からじーっと目を凝らしてつま先から頭のてっぺんまで見てみたが、人間以外にはまったく見えない。
「……王妃様みたいに、空を飛んで帰らないんですか?」
 ぼそっとつぶやいてみた。
「え? 空飛んで帰りたいの? まぁ、この規模のお城なら空船ぐらいあるんじゃない? 貸してもらう?」
「ううん、そういう意味じゃなくて……別にいいんですけど」
 はぐらかしているというよりは本気でそう思っているように見えて、ティナってたまに鈍いよなぁとリームは思う。それともティナが竜族だという仮定が間違いなのだろうか。
 薄紫色の光につつまれながら、リームはなんとなくティナの服の裾をきゅっとにぎった。



 コンコン、と規則正しくノックが2回鳴り、扉を開いたのは、この屋敷に滞在している間世話になっている侍女だった。
「イシュ様、ダナン様。ご夕食のお時間でございます」
「おう。――イシュ、飯だぞ。一度切り上げて出て来い」
 背が高く体格の良いダナンは、普段着を着ているとまったく魔法士には見えない。隣の部屋の扉を軽く叩いてイシュを呼ぶが、部屋の中から返答はなかった。
 青の魔法監視士ふたりに用意された客間は3部屋続きになっており、イシュは昼からそのうちのひとつに閉じこもってある仕事をしていた。
 再びノックして声をかけたが、やはり無反応。鍵はもちろんご丁寧に結界まで張ってある。これはもうしばらく出てこないなと踏んだダナンは、侍女に夕食を断わる旨を伝えた。あとで軽食を部屋まで運んでくれるとのことだった。
 ――それから6刻が過ぎ、すでに屋敷中が寝静まった深夜である。
 イシュはまだ、出てこない。
「おい、イシュ? 進行状況ぐらい伝えろ。イシュ?」
 イシュはプライドが高いだけでなく玄人意識も同じだけ高く、ひとつの仕事に集中すると周りが見えなくなってしまうような傾向はある。だが、口先だけではないイシュの力量から考えて、これほど時間のかかる仕事ではなかったはずだ。一体何があったのか。
 ダナンは青いローブをざっとはおると、イシュの部屋の扉の前で呪文を唱えだした。青一色の無地に見えたローブに、織り込まれていた魔法陣と魔法文字が浮かび上がる。魔法監視士の制服である青いローブは、魔法の杖のような役割をする魔法具だった。
 ダナンが結界を解除する魔法を使おうとしたその時、カチャリとその扉が開いた。
「……ふっふっふっ……わたくしとしたことが、ちょっと手間取ってしまいましたよ……」
 長い青銀色の髪をひとつにまとめ、青い正装を着たイシュが、ふらりと扉から姿を見せた。汗のにじむその表情は、いつもは疲れなど微塵も見せないイシュにしては珍しいものだった。
「イシュ、どうした。何かあったのか? 魔法具の調査は得意だったろ」
「えぇ、そうですとも。この天才的魔法技能を持つイシュ・サウザードに解明できない魔法具はありえません! ですから……この踊るホウキは、魔法具ではないということです……!」
 イシュの部屋の中には、細かい魔法文字でびっしりと描きこまれた魔法陣と、その中央で2つに割れているホウキがあった。そのホウキは確かに手に入れた時は踊っていたのだ。
 レンラームの街へ来たのは定期巡回のためで、不思議な雑貨屋の噂を聞いたのは偶然だった。得体の知れない商品を売っているというので、おそらく変わり者の魔法士が面白半分で魔法具を売っているのだと思い、一言忠告をと立ち寄っただけだった。
 想像していたよりかなり若い店主は、明らかに魔法監視士に対して非協力的であったが、『青』を嫌う魔法士は多くもないが少なくもない。ダナンは気にしなかったが、イシュは何か気に食わないことでもあったのか、調査をすると言いはじめたのだ。
 そして街で話を聞くうちに手に入れたのが、踊るホウキである。
 見た目はどこにでもあるごく普通のホウキで……しかし、ふとしたきっかけでくねくねと踊りだす奇妙なホウキだ。やはり遊びで作ったとしか考えられないかったが、その場でざっと見たところ魔法具に刻まれているはずの文字は見当たらなかった。まぁ魔法文字を隠す手段などいくらでもある。引き取って調べればすぐに分かるだろうと思っていたのだ……その時は。
「魔法具じゃない? じゃあ、なんなんだ。生きているホウキだとでも言うのか」
「近いですね。あれは、踊るホウキとしてこの世に作り出された……つまり、〈女神ヴォルティーンのささやき〉によって創り出されたとしか考えられません」
 イシュの出した答えに、ダナンはさらに表情を硬くする。
「創造属性の魔法だと……? そんなもん使えるのは、俺達や宮廷魔法士ぐらいだろ? それも相当の準備が必要だ」
「ですが、間違いありませんよ。このわたくしが調査した結果なのですから。確かに扱える者の少ない魔法ですが……人間以外の種族を考えれば、その数は増えるでしょう」
「まさか……モグリの光族か闇族か?」
 イシュはうなずいた。色濃く疲れが見える表情だったが、しかし目には得意げな光が宿っていた。
「その可能性は高いです。ほら、私が言ったとおり、調査して良かったですね?」
 彼らの国以外の場所にいる光族闇族は『青』が把握している。非登録の光族や闇族は、国へ送還しなければならない。それは光族闇族が人間社会をおびやかさないために結ばれた協定だ。モグリの光族闇族を見つけ送還するのも『青』の重要な役目だった。
「問題なのは、何故こんなに手のかかる遊びを、こんなところでやっているか、ですね。何か裏があるのかもしれません」
「ちっ、面倒なことになってきたな……」
 ダナンはもう動く気配はないふたつに割れたホウキを手に取り、溜息をついた。

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