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雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 2 「青の魔法監視士」



(3)『青』の企み

「ティナ、今度は何をしてるんですか?」
 お茶会から6日後の昼下がり、相変わらず客の来ない雑貨屋の店内で、ティナは魔法の手順が書かれた本を片手に何やら呪文を唱えていた。
「ん、ちょっと待って、ここまで完成させちゃうから」
 呪文が紡がれると共に描かれてゆく光の魔法文字は、店の壁に規則正しく並び、鎖のような紋様を描いていく。東側の壁に魔法をかけおわると、ティナはふぅと息をついて階段を下りてきたリームに向き直った。
「結界の魔法をかけてるのよ。最近、魔法で様子を窺われてるみたいなのよね」
「また黒いノゾキ魔のオジサンですかぁ〜? まったく、今度フローラ姫に言いつけてやらなきゃ!」
「うーん、まぁ誰がかけた魔法だかは分からないんだけどね、一応。それにしても、すっかりフローラさんと仲良くなったのねぇ」
「そ、そんなことないです! ぜんぜん仲良くないです!」
 リームの反応にあはははと笑いながら、ティナは結界の魔法を続けようとし、ふと気づいたように再びリームに声をかけた。
「あ、そうだ、今日もちょっと買い物行ってもらおうと思ってて。そこにメモしてあるから」
「はい、分かりました。最近、食料品ばかりですね?」
 ここしばらくは、週に1度程度だった買い物が2日に1度のペースになっていた。両手にいっぱいの買い物ではなく、野菜や肉やパンなど、食料品を少しだけだ。
 考えてみれば、今まで買い物で買ってきたもの以外の材料で作られた食事が出てくることが多かったのだが、最近はそれがなく、ちゃんと買い物した材料で作られている。今までのほうがヘンだったのだ。
 やっぱり『青』が来てから変わったなぁ……。
 時々、人間じゃない証拠が見つからないかと注意してティナのことを見ていたりするリームだったが、今のところそれは見つかっていない。それが良いことなのか悪いことなのかリームには分からなかった。
「……? どうしたの? 何かキライなものでも書いてあった? 好き嫌いすると大きくなれないわよー」
「あ、ううん、そんなことないです! いってきます!」
 店を出るリームに、途中になっている呪文を維持しながら片手を振るティナ。リームには、やっぱりティナは悪いひとには思えなかった。あきらかに隠し事があるのは残念だけど、きっと理由があるのだろうと、自分に言い聞かせて――しかし、胸の中のもやもやしたものはなかなか消えなかった。


 鶏肉と菜っ葉と、ミルクと小麦粉。今日の晩御飯は鶏肉のクリーム煮かなぁと思いながら、買い物を終えたリームはリゼラー通りを雑貨屋に向かって歩いていた。
 と、ころころとリームの足元に向かって何かが転がってきた。オレンジだ。リームは特に何も考えずそれを拾って、転がってきた方向を振り返る。
「お嬢さん、わたくしのオレンジを拾ってくださってありがとうございます。お礼といってはなんですが、このわたくしが特別にお茶に誘ってあげましょう。良かったですね」
 シャープに着こなしたモノトーンの服の胸元に赤い花を差しているその男の笑顔には、大きくナルシストと書いてあるかのようだったが、長い青銀色の髪と無駄に自信に満ち溢れた表情は間違いなく見覚えがあった。
「っああああ『青』のひとっ!?」
「こら。折角ローブを着てこなかったんだから、大声だすなよ」
 傍に居るのはラフなシャツを着た赤い髪の魔法監視士だ。こう見ると二人とも本当に街の若者にしか見えない。まだこの街に居たということがまず驚きだし、そして自分に声をかけてくるのも信じられなかった。
「な、なんで……」
「ナンパだ。お茶に付き合ってもらおう」
「えええええ???」
「と、いう建前で、お話を聞きにきました。リーム、というそうですね、お嬢さん。雑貨屋ラヴェル・ヴィアータで働いているそうで」
「あっ……」
「立ち話はなんだ。行こうか。……ついでに、シェイグェール魔法院の話でもしてやるかな」
 シェイグェール魔法院は『青の魔法監視士』の本拠地であり、世界で一番有名な魔法の学校であり、研究所でもあった。リームにとって遠い夢の地だ。なんてずるいのだろう。リームは思った。憧れの『青』にそう言われたら、ついて行かざるをえないではないか。
 ふと、笑顔で自分を見送っていたティナの顔が脳裏をよぎる。別に、ティナを売り渡すようなことをするわけじゃない……そもそも、私だって何も知らないんだから。『青』の人たも、分かってくれるはず。
 不安な気持ちを心にしまいこんで、リームは『青』のふたりについていったのだった。



 『青』のふたりに案内されたのは、街の中心部にある高級料理店の小さな個室だった。貴族や一部の大商人しか出入りできないような店で、何回もストゥルベル城を訪れているリームとはいえ、また違った雰囲気で緊張してしまう。
 金縁の白い食器で小奇麗に盛り付けられたお菓子とお茶が運ばれてきたが、リームはとても手をつけられなかった。
「遠慮せずにどうぞ。お話は後からゆっくり聞かせていただきますから」
「その言い方じゃ食えねぇだろ。嬢ちゃん、俺達は『青の魔法監視士』だ。卑怯なまねはしないし、する必要もない。安心してくれ」
「……ティナが、何か悪いことしてるんですか? 信じられません……」
「それを今調べているのですよ。お嬢さんは二ヶ月ほど前からあの雑貨屋で働いているそうですね。何かおかしな点はありませんでしたか?」
 『青』のふたりがお茶に手をつけはじめたので、リームもおそるおそるお茶を飲みながら答えた。
「不思議な雑貨屋だって噂は聞いていたので……噂通りだなーと思いました。でも、ティナはとっても良い人です。悪いことしているようには思えません」
「店に店主の知り合いが来たことはあるか? あとは、店主が誰かと連絡をとっているようなことは」
 ティナの知り合いと言われて真っ先に思い浮かんだのが王妃様のことだったが、それを言っていいものかどうか迷ってしまった。魔法監視士は憧れの存在で正義の魔法士だけれども、こんな場所でティナについて話していると、なんだかティナや王妃様までも裏切っているような気がしてきてしまう。
「……ティナのこと四六時中見ているわけじゃないので、分かりません。私に聞いても何も分からないと思いますよ。私のほうがティナのことを知りたいぐらいなんです」
「なるほど、分かりました。では、お嬢さんが知りたがっている店主の真実を知るために、これを持っていてください」
 イシュが差し出したのは、透明な石のついたシンプルなブレスレットだった。
「お嬢さんが身に着けていてくだされば、より近くで店主のことを調べられます。店に結界を張られたようなので準備しておいて良かったですよ――まぁこのわたくしにかかれば結界なんて解除するのは容易いのですが、あまり大掛かりに魔法で争うのは避けたいところですから」
「ナンパされた知らない男に貰ったとでも言っておけ。嬢ちゃんは魔法具だなんて思ってもみなかった、そういうことでいい」
 それでもリームがブレスレットに手を伸ばさないと、ダナンは続けて言った。
「……〈小さき光〉見てやろうか? 嬢ちゃんが『青』になれる可能性はどれくらいあるのか、知りたいだろう」
「ほ、ほんとですか!?」
「その代わり、ブレスレットを受け取ってくれ。別に店主をどうこうしようってわけじゃない。真実を知るためだ。『青の魔法監視士』の名にかけて、俺たちは正義を行う」
 憧れの『青』に魔法を見てもらえる――対価にティナのことを調べるブレスレットを受け取る。リームは板挟みの思いの中、目を閉じた。ティナの笑顔を思い出す。それと同時に、遠き日の思い出に霞む憧れの『青』の姿が瞼の裏に浮かぶ――『青』は不正を取り締まる、正義の魔法士だ。
 リームはダナンを真っ直ぐ見据え、イシュを同じだけ見たあと、ゆっくりとブレスレットを手に取った。
 ひんやりと冷たいブレスレットは、よく見ると金属部分にごく小さな文字が並んでいるのが見える。心が痛まないというと嘘になるが、ティナはきっと悪いことしてないし、『青』の人もそれが分かれば何もしないだろう。
「じゃ、じゃあ、いいですか? 見ててください」
 リームは大きく深呼吸を繰り返してから、緊張に震える声で小さな光を灯す魔法を唱えた。光を灯す瞬間だけなら誰にでもできる。その維持と大きさが魔力の指標になるのだ。
 リームの光は両手のひらからあふれるほど。その光が消えた後、リームは不安げなまなざしで『青』のふたりに問いかけた。
「どう……でしょう?」
「んー……」
「魔法監視士にはなれないでしょうね」
 バッサリと、イシュが切り捨てた。
 リームは一瞬で目の前が暗くなったように感じ、がくんと椅子から落ちるようなめまいを覚えた。
 魔法監視士になれない。なれない。『青』本人が口にしたその言葉は、心臓を殴られたような衝撃だった。
「いや、嬢ちゃん。イシュは魔法に関しては人一倍厳しいからな。俺は悪くないと思うぞ」
「わたくしでしたら、お嬢さんの50倍程の大きさを楽に扱えます。このような基本的な魔力が要求される単純な魔法は、本人の素質によるところが大きいです。つまり、訓練で伸びることはありません。お嬢さんが『青』になるのは、ほとんど無理でしょう」
 理論整然とリームに追い討ちをかけるイシュ。生気の抜けた表情のリームに、ダナンは同情の声をかけた。
「逆に言えば、複雑な魔法になればなるほど、本人の素質は関係がなくなってくるってことだ。最低限、魔法を発動させる魔力は必要だが、嬢ちゃんには魔法士たるに必要な魔力は備わってる。あとは努力次第だ」
「ですが、それなりの規模で魔法を使おうとすれば、どれほど組み立てたとしても最終的には扱う魔力の量によってできることが違ってきますし、魔法陣を重ねる上で維持に必要な魔力を合わせていけばつまりは――」
 なんとかフォローしようとするダナンの考えを少しも配慮せず、すらすらと涼しい顔で続けるイシュに、ダナンは苛立ちを抑えきれないようだ。眉根を寄せ、片手をあげてイシュを制した。
「あー、うるせぇ。魔法オタクめ。もういいだろ。嬢ちゃん、教えてやろう。『青』になるために一番重要なのは、魔法技術より何より――長に気に入られるかどうかだ」
「……それはありますね」
「だろ?」
 リームは、イシュの魔法監視士になれないという言葉以降、ショックと内容の難しさで話がほとんど頭に入ってきてなかったのだが、最後の言葉だけはなんとか理解できた。
「えっと……『青』の長に気に入られれば、私でも魔法監視士になれるんですか?」
「まぁ……そうですねぇ」
「もちろん、職務上魔法の知識と能力は絶対必要だけどな。がんばれよ。嬢ちゃんが後輩になったら、鍛えてやるからな」
「は、はい! 私、がんばります!」
 ――その時は元気よく返事をしたリームだったが、料理屋を出て『青』のふたりと別れ、いざ雑貨屋へ帰る段階になると、とたんに左手につけたブレスレットが重さを増したように感じた。
 大丈夫、これはティナの無実を証明するためでもあるんだ、と自分に言い聞かせるが――ティナにこれがばれたらどんな顔するだろうと考えると、悪い想像しか浮かんでこなくて。今更考えたってもう乗りかかった船なんだけれども……。
 重い気持ちをかかえながら、リームはゆっくりと雑貨屋へ帰っていった。

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