文字サイズ変更:

雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 3 「宮廷魔法士の弟子」



(1)魔法を学ぶ

 どんっ、とリームの目の前に積まれたのは分厚い4〜5冊の本だった。どれも布張りのしっかりした装丁で、ひとつひとつが片手で持ち運ぶのは大変そうなほどの重さに見える。
「基礎魔法語、記述魔法語、精霊語。発音に特化した教本に、初歩の魔法陣形式。とりあえず、これをすべておぼえてもらおう。文字を知らないと話にならないからな」
 腹黒さがあふれだす(とリームには見える)笑顔のラングリーを反射的に睨みつけそうになって、リームはいけない、いけないと、すばやく視線を教本に戻した。
 憧れの魔法監視士、通称『青』になるための一番の近道――『青』の本拠地である魔法学校兼研究所『シェイグェール魔法院』へ推薦してもらうために、宮廷魔法士ラングリーのもとで魔法を学ぶ。そう決めたあの夜から2週間後。リームは、ラングリーの執務室――クロムベルク城の中庭に建つ小さな塔の最上階に来ていた。今日から週に一度、ここで魔法を学ぶのだ。
 なんだか口車に乗せられた気がしないでもないが、やると決めた以上はやってやる。世界で一番気に食わない相手でも、魔法に関しては師匠なのだから……今迄のように嫌がっているわけにはいかない。リームは睨みたくなる気持ちをぐっと堪えて、なるべく丁寧に答えた。
「分かりました。これをおぼえればいいんですね」
「あぁそうだ。それじゃ、がんばれよ」
 軽く右手をあげてそう言うと、ラングリーは自分の机に戻る。
 ラングリーの執務室は雑貨屋の店内と同じくらいの広さだった。正面に飾り格子のついた窓と、その手前に磨き上げられた大きな木机。左右の本棚には大量の本と巻物、アミュレットのようなもの、そして何故かレースで飾られた人形や淡いピンク色の花飾りなど、似つかわしくないものがところどころに置かれていた。中央の机以外に片側の壁沿いに長細い机があり、もともとは小物が置かれていたのだろう――今は除けられていて、その空いた場所の前に小さな椅子を置き、リームの簡易机としていた。
 リームは重い魔法語の教本の1冊を手に取ると、ぱらぱらと中身を見てみた。共用語で詳しく説明してあり、まったく理解できないというわけではないが、一朝一夕でおぼえられる内容ではない。じっくり読む必要がありそうだ。ちらりとラングリーの机のほうをうかがうと、何やら書類のようなものに目を通しているようだった。ふと目があって、なんだ?とでも言うように片眉をあげるラングリーに、リームは慌てて視線を戻した。
 落ち着かない。居心地が悪い。本を読むだけなのだったら、別にここじゃなくてもいいのではないだろうか。
「あの。この本は持って帰ってもいいんですか?」
「ん? あぁ、構わない。ただ、城の蔵書から借りてきたものだから、ちゃんと返すようにな」
「はい、分かりました。それなら、こういう勉強はうちでもできますから……もっとこう、実践的なこと教えてほしいんですけど」
 雑貨屋のあるレンラームからクロムベルク城までは馬車で2日かかる。往復4日も店を休むわけにはいかないリームはティナの魔法で送ってもらって来ていた。わざわざここまで来ているのだから、ここでしかできないことをやりたい。
 しかしラングリーは、ふっと鼻で笑って言った。鼻で笑った。こ、この……。
「聞いてなかったのか? 話にならないんだ。ペンの持ち方も知らないやつに、恋文の書き方を教えられないだろう? まず、ペンを持つ。で、字が丁寧に書ける。内容はそれからだ」
 よく分からない例えだったが、自分のことを馬鹿にしているのはよーく分かった。あの笑い方。こんなに低姿勢で学ぼうとしているのに、話にならなくて悪かったですね! リームは先程までの殊勝な心構えを完全に放棄した。がたっと椅子を立ちあがり、ラングリーを睨みつけて言う。
「本を読むだけならここにいる必要ないですねっ。帰ります。おぼえてきたら、ちゃんと教えてくれるんですねっ?」
 そんなリームにラングリーは満面の笑みを向ける。心の底から楽しんでいるようで、リームはそれが本当に、嫌だった。
「もちろんだとも。シェイグエール魔法院の試験なんて簡単に通れるくらいのことは教えてやるさ。教えてはやるが、できるかどうかはお前次第だ」
「必ずできるようになって、『青』になります!」
 はっきりと断言したリームに、ラングリーは満足げにうなずいた。椅子から立ち上がると、細身の銀の杖と巻物をひとつ持ってリームの机に近づく。
「ティナ・ライヴァートはまだ迎えに来ないだろう? 俺が送ってやろう。教本は俺が持つから、ちょっとこれを持っていてくれ。下の部屋に移動するぞ」
 あ、そうか。ティナがいないと帰れないんだった……リームは勢いで帰ると言ってしまったことにちょっと恥ずかしくなってしまい、わたわたと渡された巻物と杖を受け取って、大人しくラングリーのあとに続いた。
 塔は一つの階に一つの部屋があり、外壁沿いのらせん階段で行き来するようになっている。石造りの階段を降りながら、リームは渡された銀の杖をまじまじと見つめた。ラングリーの銀の杖を間近で見るのは初めてだ。細いわりに重量があり、よく見ると表面には細かい呪文が刻まれている。なんとか意味の分かる部分はないかと目をこらして読んでみたが、何一つ分からなかった。
 ひとつ下の階層にある部屋は窓がないらしく、扉を開けても真っ暗だ。ラングリーが入口横の壁に触れて短い呪文を唱えると、いくつかのぼんやりとした魔法の明かりが部屋を照らした。何も物が置かれていない真四角の広い部屋。そこには床一面に大きな魔法陣が描かれていた。
「汎用魔法陣だ。あえて記述を未完成にして使用用途を広げている。空間移動の魔法の大部分はそっちの銀の杖に入ってる。事前に記録してある場所へ自分一人で行く程度なら魔方陣は不要だが、記録していない場所へ他人も一緒に行くとなると魔方陣があったほうが安定するな。……まぁまだ分からんだろうが、流れだけでも見ておくといい」
 ラングリーは魔法陣の中央に魔法語の本を積み置くと、リームをその近くに呼び、杖と巻物を受け取った。ラングリーが呪文を唱えはじめると、床の魔法陣の線に沿って流れるように白い光が広がっていく。呪文が続くにつれて、その光は淡い紫色に変化し、眩しいほどの強さになった。――そして、軽い浮遊感とともに、アメジスト色の光の向こう、石造りの部屋の風景が水面のように揺らぎ、別の景色に置き換わる――明るい日差しの下、通りに面した二階建ての店。青地に黄色の文字で書かれた看板。雑貨屋ラヴェル・ヴィアータだ。
「空間移動の魔法が扱えるようになれば、魔法士としてはエリートだな。大貴族や商業組合、神殿、どこからも引く手あまただ。あっという間に城が建てられるほどの稼ぎになるぞ。そこらの魔法士じゃ、空船の運転士がせいぜいだからな」
「へぇ、そうなんですか」
 相槌はうつものの、そう言われてもいまひとつしっくりこないリームだった。ティナもラングリーも随分簡単に空間移動の魔法を使っているように見えるのだ。それだけ能力のある魔法士ということなのだろうけれど。
 もしかしたら、ティナは貴族や大商人付きの魔法士として稼いだものすごい財産があるから、閑古鳥鳴きっぱなしの雑貨屋をやっていられるのだろうか?
 リームがそんなことを考えながら足元の魔法語教本を持ちあげていると、雑貨屋の入口が開き、ティナが顔を出した。
「リーム、ラングリー! どうしたの。早かったのね」
 いつも通りの動きやすいパンツスタイルに簡素なストール、街の商店で鍋や食器を売っているのがよく似合う素朴な笑顔のお姉さんといった風体のティナは、宮廷魔法士と並ぶほどの魔法の使い手にはとても見えない。
「いえ、ティナ殿。リームが自習ならうちでやりたいと言いましてね。あぁ、あと、これはティナ殿に。約束のやつです」
 ティナに歩み寄ったラングリーが手渡したのは、執務室から持ってきた巻物だった。ティナは封を解いて初めの方を確認すると、わずかに眉根を寄せつつうなずいた。
「分かった。ちょっと時間がかかるかもしれないけど、考えとく」
「よろしくお願いしますよ。じゃあな、リーム」
「うぅーっ!?」
 二人のやり取りを疑惑の視線で見ていたリームは、ラングリーにすれ違いざまにぽんぽんと頭をなでられ、両手が本でふさがったまま抵抗のうなり声をあげて心底嫌そうに首をぶんぶんとふった。



「…………ル、ルェート……Блζ=лбζ……」
「んー、それは多分、бζ=лζБじゃないかなぁ?」
「あ、そっか……」
「そのあたり活用が難しいよねぇ。私も昔、おぼえるの大変だったよ」
 ラングリーに魔法語教本を借りて自習するようになってから、1ヶ月が経った。
 夏の暑い盛りを乗り越えて、ようやく涼しい風が吹き始めた今日この頃。リームは休みの時も店番をしている時も、常に魔法語教本を片手に勉強していた。
 相変わらず客の来ない雑貨屋の店内で、カウンターの椅子に腰かけて勉強しているリームを、ティナは隣で時々アドバイスをしながら見守っている。親戚のお姉さんに勉強を見てもらっているような雰囲気だ。
「魔法語と記述魔法語の違いは分かりやすいんですけど、魔法語と精霊語が似ているようで全然違うところもあったりして、ごっちゃになるんです。ティナはライゼール王国の出身だから、精霊語は小さい頃からできたんですか?」
 ライゼール王国はクロムベルク王国から北の海を渡った先にある国で、精霊派<エレメンツ>が国教だったはずだった。精霊使いも多く、精霊語もずっと一般的に違いない。しかしティナは首をふった。
「ううん。私は田舎の村で育ったから、そもそも読み書きできる人も少なかったし、精霊使いも魔法士もほとんどいなかったの」
「そうなんですね。やっぱりティナは魔法士になるために都会に出たんですか?」
「いや、村で唯一の魔法士だった先生に教わったんだ。でも途中でお母さんが病気になっちゃったから、治療法を探すために見習いのまま風従者になって村を出たんだけどね」
 風従者とは、自分の技術や資質だけを頼りに各地を旅をして暮らす人々を指す。いわゆる何でも屋のようなもので、そのほとんどが魔法士または精霊使いとその護衛という組み合わせだ。ティナが昔風従者だったという話は、リームも何度か聞いていた。
「それで、お母さんの病気は治ったんですか?」
「うん。無事病気も治って、前よりも元気……元気? うん、まぁ元気といえば元気になったかな」
 微妙な言い回しだったが、ティナが笑顔だったので、リームは安心した。
 雑貨屋で働くようになって半年近く経ち、ティナの生まれ育ちの話もずいぶん聞いた。ライゼール王国の中央やや西部、ラザック村という長閑な農村で生まれて、母子の二人住まい、ほとんど自給自足に近い形で小さな畑を耕したり鶏を飼ったりして暮らしていたんだそうだ。風従者になってからは、クロムベルク王国にも船で渡ってきたことがあり、ルヴィーニア大神殿や水の森といった有名所にも行ったという。
 何故、風従者を辞めて雑貨屋をやるようになったのか、という問いには『やりたかったから』という返答で――きっと旅をしている間に、いろいろな場所のいろいろなお店を見て、自分のお店を持つのもいいなぁと思ったのかなーと、リームは予想していた。ただ、宮廷魔法士に並ぶ程の魔法技術を持ちながら、普通の雑貨屋をやるほうが良いというのも、なかなか珍しいけれど……。
 リームはついまじまじとティナを見てしまい、それに気がついたティナはちょっと勘違いしたらしく、軽く片手を振りながら言いつくろった。
「あ、大丈夫よ、ほんとに元気だから。それで、リーム、明日ラングリーのところに行くってことでいいんだよね?」
 自習を始めてから1ヵ月。先日ラングリーの魔法の鳥と話して、やっとそれなりに魔法語をおぼえたことを認めてもらえた。いよいよ本格的な魔法を学べるのだ。
「はい。やっとこれからが本番です。なんでもフィードの感知と魔力の広げ方?をやるとか言ってました」
「あぁ……そうなんだ。うん、まぁそうだろうね……」
 リームの言葉を聞いたティナは、何故か気まずそうな表情をした。なんとなく視線をナナメ上にさまよわせている。リームにはその理由が見当つかず、一瞬迷ったが、率直に尋ねることにした。
「なにか問題があるんですか?」
 ティナはそのままの表情で視線をリームに戻し、言葉を選びながら言う。
「まぁ、なんていうか……ラングリーから聞くかもしれないけど、たまに私の周りでは魔法の力が正常に働かないかもしれないから……習ってきても、ここで練習するのは難しいかも」
「えっと、それってどういうことですか?」
「うーん、なんだろ。伊達に不思議な雑貨屋じゃないっていうか、まぁ不思議じゃなくなるのが目標なわけだけど、現時点では難しい……かも。まぁ、そういう魔法があるって思ってくれれば」
 魔法の力が正常に働かなくなる結界のような魔法をティナが使っているということだろうか? だったらそう言ってくれればいいのにとリームは思ったが、そう言わないということはそれは正しい表現ではないのだろう。
 正直まったく分からなかったが、リームはとりあえず分かりましたと答えるしかなかった。
 『青』に目をつけられるほど不思議な雑貨屋。きっと宮廷魔法士に並ぶその魔法技術を使って何かをしているのだろうけれど、教えてはもらえないし、まったく想像もつかない。相変わらず正体不明な、謎多き店主だった。
 もっと魔法を勉強したら、ティナが何をしているのか分かるのだろうか……?

 目次   次→



inserted by FC2 system