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雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 3 「宮廷魔法士の弟子」




(3)弟子の試練

「次は、師匠の部屋の掃除だ。師匠のために自ら進んで掃除をするのが、良い弟子というものだ!」
 最初の試験、師匠のことをどれだけ知っているか、というのは、結局、ミハレットから素晴らしい師匠の経歴や武勇伝の数々を聞かされるだけに終わった。
 ラングリーはもともと商人の家の出らしい。類稀なる魔力と天才的魔法技術により、20歳の若さで宮廷魔法士になるという偉業を果たしたそうだ。一人で竜に打ち勝ったとか山ひとつ吹っ飛ばしたとかはどこまで本当だか分からないが、数百の暗殺者を退けて王の従姉妹にあたる公爵家の姫君と駆け落ちしたという話は、まさか華々しい伝説になってるとは思わずちょっとどきりとした。自分のことも脚色されて伝説の一部になってたりするのだろうか――いや違う、自分関係なかった。断固として関係ないんだった。
 きらきらした瞳で敬愛する師匠の伝説を語るミハレットを、1歩どころか10歩くらい離れた目線で眺めつつ、変人には変人が引き寄せられるのだろうかとリームは思った。それにしても長い。早く終わってほしい。こっちはさっさと魔法の勉強がしたいのだ。
 ――1刻近く話を聞いたあと、続いてミハレットに連れてこられたのは、塔の2階にあるラングリーの自室部分だった。ベッドと書き物机と衣類箪笥しかない部屋で、それなりに整頓されている。
「さぁ、それでは、がんばりたまえ!」
 ふんぞり返ってバケツと雑巾を渡すミハレット。掃除は嫌いじゃないが、こんなことをしに来ているわけじゃないのだ。リームは苛々を隠すつもりもなくミハレットを睨みつけながら、バケツと雑巾を受け取った。
 今こそ、孤児院で培った掃除技術の粋をつくす時! リームは自己最高速で部屋を掃除する。変な文句をつけられないように隅から隅まできっちりと。その間、ミハレットは部屋の入口でぽかんとその様子を見ていた。
「さ、終わったけど、次は何すればいいの?」
 少し息をあげながら、それでも態度を崩さず刺すように睨みつけるリームに、しかしミハレットはきっちり掃除された部屋を眺めて感心したように言った。
「すごいなぁ……リームは小間使いでもやっていたのか? まぁ城に入れるんだから、そうなんだろうな」
 なんで貴族ってどっか抜けてるような天然マイペースが多いのか。かすかにフローラ姫のことを思い出しつつ、リームはため息をついた。
「いや、掃除ぐらい貴族じゃなければ誰でもできるでしょ。私は小間使いじゃなくて、雑貨屋で働いてるの。ミハレットみたいに毎日暇してる貴族ならいいんでしょーけど、私はわざわざお休みもらってここに来てるわけ。本当に早く魔法の勉強したいんだからね!」
「オレは家の名前は捨てたんだからもう貴族じゃないぞ。魔法士として生きていくんだ。そもそも、魔法の力は平等だ。貴族も庶民もない」
「はいはい。ならきっと、住むところも食べ物も自分で手に入れてるんでしょうね?」
「うっ……いや、それは、ちょっと家の名前で借りているだけだ。いずれ魔法士としての稼ぎで返すんだ」
 しどろもどろなミハレットに、リームは再び大きなため息をついた。これみよがしなため息だったが、ミハレットに効果は薄いらしい。そもそもこいつに八つ当たりしている暇はないのだった。とにかく、さっさと、終わらせたい。
「はい、次ね、次。ていうか、もう弟子として認めてくれる?」
「いや、まだだ。世界一の師匠の弟子ならば、世界一の弟子であることを目指さなければ! 次は、差し入れだ。調理場に行くぞ!」
 ラングリーに関わることだけ不必要なほどやる気に満ち溢れるミハレット。ラングリーもこんな調子で付きまとわれたから弟子にせざるを得なかったのだろうか? 本当に面倒くさいやつだった。



 クロムベルク城の調理場は広間のように大きく、何十人もの調理師が働いている。王様や王妃様のお食事はもちろん、定期的に開かれる晩餐会の食事や、大臣や神官、近衛兵、宮廷魔法士など城に住み込みで働いているものたちの食事も作っていた。
 ミハレットは城の中では有名らしい。とても貴族が通らないような通用口を通っていても、使用人たちは会釈をするばかりだ。慣れた様子で調理場に入っていくと、ひとりの体格の良い調理師が声をかけてきた。
「おや、ミハレット坊ちゃん。今日もラングリー様への差し入れですかな?」
「あぁ、そうなんだ。クロッツ菓子はあるかな?」
「それが、あいにく今きらしておりましてねぇ。まぁ材料はありますから、1刻ほどでできあがります。お部屋ででもお待ちいただければ届けさせましょう」
「いや、取りにくるよ。よろしくな」
「……え? 作るんじゃないの?」
 先ほどの掃除のように自分でやるのかとばかり思っていたリームは、ミハレットの後ろでつぶやいた。ミハレットが軽く驚いた様子でふりかえる。
「作る? 自分でか? ……あぁ、そうか。リームは料理もできるのか……なぁ、ドルマー、オレにも作れるかな?」
 どうやらミハレットには、そもそも料理を自分で作るという発想がなかったらしい。聞かれた調理師は困った顔をして、片手で帽子を直しながら言った。
「いやぁ……それほど難しくはないですがね。坊ちゃんに火傷でもされたら、あっしらが怒られますからねぇ」
「じゃあ、私だけやればいいですね。ミハレット坊ちゃんは、お部屋ででもお待ちいただければお届けしますよ?」
 リームがからかう調子で言うと、ミハレットはむっとして首をふった。
「いやっ、オレもやる! 一番弟子として、負けてはいられないっ」
 こうして何人もの調理師に見守られながら、リームとミハレットはクロッツ菓子を作り始めた。
 ミハレットの不器用さは目を見張るものがあった。卵をかき混ぜるだけでこぼしそうになる。リンゴを切る時は、どうかそれだけは代わりにやらせてくださいというドルマーに断固として譲らずに挑戦、予想通り指を切りそうになり、見守る調理師一同が息をのんだ。
「まったく、お嬢ちゃんが変なことを言いださなきゃなぁ……それにしてもお嬢ちゃん見ない顔だけど、新人かい? 随分坊ちゃんと仲が良いように見えるが」
 ミハレットが四苦八苦している間、手際良く生地作りを終わらせていたリームにドルマーが言った。リームは首と手を一緒に振って、全力で否定をする。
「まさか! 仲良くなんてないですよ。今日会ったばかりです。私、宮廷魔法士ラングリーの弟子になりました、リームといいます」
「ほほぉ、そりゃあまた。ラングリー様が新しい弟子をとるとはね。坊ちゃんが弟子になると言いだしたときは、それはもう大変だったさ。ラングリー様は貴族でも容赦しないから、いつ坊ちゃんがやられるかと心配したもんだが、さすがに子供には手を出しづらかったようだねぇ。とうとう折れたのが1年くらい前かな。お嬢ちゃんはいったいどうやって弟子になったんだい?」
「まぁ……なりゆきで」
 ――フローラ姫が自分を引き取りたいなんて言わなければ、ティナともラングリーとも出会うこともなかっただろうし、そうだとしたら『青』のひとりから直々に才能がないと断言された自分が『青』を目指すのは途方もない話だったろう。
 もちろん自分ひとりの力でなんとかしたい気持ちもあった。しかし一度決めたことなのだ。その場の勢いで言ってしまった感はあるとはいえ、今更どんな理由をつけたところで辞めるとなれば『やっぱり無理か』と嘲笑われるのは目に見えている。それだけは絶対に嫌だった。
 そう、別にあいつに頼っているわけじゃないんだ、見返してやるためにも必ず『青』になってやる。そのためには面倒で意味のない試練も乗り越えなければ。



 リンゴを混ぜ込んだ焼き菓子『クロッツ菓子』は、リームの作ったものはそれなりに形になっていたが、ミハレットのものはぼろぼろと崩れて菓子の形をなしていなかった。
「なんでこうなるんだ……? リームと何が違うんだ?」
 中庭の塔に戻る道すがら、ミハレットは自分の作った菓子を見て何度もため息をついた。天然マイペースで猪突猛進なミハレットも、落ち込むときは落ち込むらしい。
「でも、味はそんなに違わなかったし、いいんじゃない?」
 あまりの気の落としように、思わず慰めの言葉をかけてしまうリーム。超絶不器用ながら真剣にお菓子作りに取り組んでいたのを見ていたら、馬鹿にする気にはなれなかった。面倒くさいやつですごく嫌な奴だけど、真っ直ぐなんだよなと思う。そこが某腹黒オジサンとは違うところだ。
「いやっ、師匠に食べていただくんだったら、ちゃんとしたものでないと! とりあえず、今日はリームのだけ渡してくれ。次こそはちゃんと作るからな」
 そして、こんなに真っ直ぐ慕う対象がなんでアレなんだろうと、ものすごく不思議だ。やはり魔法の技術がすべてなのだろうか。リームには分からなかった。
 ふと、塔の入口の前に人が立っているのが見えた。金髪を高い位置でひとつにまとめ、動きやすい普段着を着た若い女性――ティナだ。リームは、はっと息をのんだ。いつの間にか予定の時間を過ぎていたのだ。どれくらい待たせてしまっただろう。リームは塔に向かって駆けだした。
「ティナ! ごめんなさい。うっかりしてました。待ちましたか?」
 そんなリームを、ティナは笑顔で迎える。
「ううん、全然大丈夫よ。ちょっとラングリーに用事もあったし、問題ないわ。そっちが例のミハレットくん?」
 ラングリーから話を聞いたのだろう、追いついたミハレットを見てティナが言う。ミハレットのほうもリームに聞いた。
「リーム、この人は?」
「私が働いている雑貨屋の店主さんだよ。いつも迎えに来てもらってるの」
「初めまして、ミハレットくん。ティナ・ライヴァートよ」
「初めまして。ミハレット・エフォークだ。どうぞお見知りおきを」
 片手を胸にあてて一礼するミハレットに違和感を抱かないらしいティナは、やはりある程度貴族との付き合いに慣れているようだった。
「リーム、帰る前にラングリーに挨拶していったほうがいいよね?」
「あ、はい。これを届けなきゃいけないですし、あと、魔法語の本も借りて帰りたいです」
「うん。じゃあ行こうか」
 三人は塔を上がり、執務室へとやってきた。ティナがノックをして扉を開ける。ラングリーは正面の机に座り、何やら真剣な顔で巻物を見ていた。三人を見ると、ふっといつもの笑顔を見せたが――目が笑っていない、とリームは思った。
「おかえり、リーム、ミハレット。どうだ? 試練は乗り越えられそうか?」
「さすが師匠が選んだだけあって、見込みはあると思います。ですが! まだ正式に認めるわけにはいきません!」
 あれだけやって、まだなの? リームは隣からミハレットを睨みつけたが、ミハレットは気づいていない様子だった。
「クロッツ菓子、作ってきましたよ。ミハレットがいつも差し入れしてるそうですね? どうぞ」
「おお、悪いな。なんだ、リームが自分で作ったのか? これはフローラにやったら大喜びだな。持っていってやらないと」
 リームが渡した袋から菓子を取り出して見ながら、満面の笑みで言うラングリー。その言葉をミハレットは不思議に思ったようだ。
「フローラ様に? フローラ様はそれほどクロッツ菓子がお好きでしたでしょうか」
 いけない、バレる。
 リームは咄嗟に思い、その隠したい事柄を自分がいまだ認めてないことには気がつかず、声をあげた。
「それじゃ、私は帰りますね! 魔法語の本、借りていきます。さぁ、ティナ、帰りましょう」
 横の机にまとめて置いてあった魔法語の本をかかえ、ティナに言う。ティナはそんなリームの懸念に気付いたのだろう、仕方がないわねというような笑みを浮かべた。
「またね、ラングリー。ミハレットくん」
 ふたりが部屋を出る直前、ラングリーが口を開いた。
「ティナ・ライヴァート殿。貴方は、これを俺に渡す意味を、本当に分かっているのですか?」
 ラングリーの表情に、いつもの飄々とした笑顔はない。真っ直ぐにティナを見ていた。一方のティナは、けろっとした笑みで小首をかしげる。
「意味も何も、あなたが必要だって言ったんじゃない。私は、あなたがそれを持つことに、何か問題があるとは思わない」
「貴方は俺を信用しすぎているのか、見くびりすぎているのか、どちらかですね」
「どちらかだったら何か問題あるの? 私は、そうは思わないってことよ」
 にっこり笑うティナとその隣で目をぱちぱちさせながら様子を見ていたリームが、淡い紫色の光に包まれた。一瞬で強さを増した光は突然ふっと消え――その後には、すでにふたりの姿はなかった。
「……師匠、あの人は……?」
 ミハレットが茫然と尋ねる。ラングリーは長く息をつき、髪をかきあげた。
「気にするな。知らない方がいいことも、世の中にはある……本当にな」

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