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雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 4 「精霊に見守られたお茶会」




(6)妖精の小さな花

 ――なんだか前もこんなことあったな。
 リームは大きな木の洞にしゃがんで、膝をかかえながら思った。誰かが追いかけてくる気配はない。鳥の鳴き声、風が木々を揺らす音、聞き取れないほど小さな精霊語のささやきだけが聞こえる。
 あの春の日の夜を思い出す。王妃様の背に乗ってストゥルベル城へ行って、初めてフローラ姫に会って。何を言えばいいのか分からなくて、逃げ出してしまったのだ。
 成長してないな、自分。リームは一人ため息をついた。
 こうして一人でゆっくり考えてみると、やはりティナの言うとおり、正直に話してしまったほうが良い気がしてくる。自分が娘だと認めていないことも含めて。ストゥルベル家とも宮廷魔法士とも繋がりを持ちたくない気持ち、ミハレットは分かってくれるだろうか。それとも、名前の束縛からは逃げられないって諭されてしまうだろうか。自分に対する態度も変わってきてしまうのだろうか……。
 ふと、洞の外から茂みを揺らす音が聞こえた。誰かが探しに来たのか、それとも森の動物か。リームは気配をひそめて耳をすませた。
『人間だよ。子供だね』
『なんだ、人間か』
 聞こえてきたのは鈴の音のような精霊語。ふと見ると、洞の外から透明な羽の小さな妖精が二人のぞいていた。黄緑色の葉のような質感の服を着た小人のような形をしている。妖精族はその力の大きさによって虫程の大きさから人間程の大きさまで様々だ。王都で見たことがあるのは人間程の大きさの妖精が多かったので、リームは手のひらほどの大きさの妖精を見るのは初めてだった。
『人間でもいいかな』
『人間は面倒くさいらしいよ』
『うーん、そっかぁ……』
『あの、何かご用ですか?』
 リームが話しかけると、二人の妖精はびっくりして洞の入口から飛び退いた。しかしすぐに戻ってくる。
『喋った! ちょっと下手だけど!』
『ごめんなさい、習ったばかりなので』
『キミは精霊使いなの?』
『いいえ、魔法士……です』
 見習いという単語が分からずに、リームはそう言った。
『魔法士なんだ。へぇ〜。魔法士がこんなところで何をしてるの?』
『えーと……』
 何をしてるんだろう自分。返事を考えるより先に、リームはため息をついてしまった。本当に何をしているんだろう。そんなリームを見て、妖精たちは顔を見合わせる。
『精霊語でどう言うか分からないんだね?』
『まぁいいか。僕らは僕らで用事があるしね。あ、もし暇ならさ、手伝ってくれない?』
『何をですか?』
『ちょっと友達が死にそうだから、助けてあげようかなって思ってて』
「えぇっ!? それって大変なんじゃ!?」
 思わず人間の言葉で言ってしまって、リームはすぐに言いなおす。
『それは大変ですね!?』
 しかし妖精はあんまり大変じゃないさそうだ。にこにこと笑いながら鈴のような声で話す。
『僕らは草花の妖精だから、本当は死にそうとかあんまり大したことじゃないんだ。寿命が長い木の妖精や泉の妖精とかだと、もう少し深刻に考えるみたいだけどね。まぁ今回は気が向いたから、ちょっとやってみようかなーってだけで』
『そうなんですか……』
『キミも気が向いたんなら、来てくれる?』
 確かにいつまでもここでじっとしているわけにはいかない。こうしてリームは妖精に誘われるままに洞から出たのだった。



 それは本当にひっそりと咲いていた。森の中の落ちくぼんだ盆状の一角、木々の影に隠れるように咲く、薄い桃色の花。
『もう妖精の姿を維持できないほどに弱っていてね。まぁ今日明日の命ってとこかな』
『種が残せてるんなら、僕らもこんなことはしないんだけど、残念ながら種を残せてないんだよ』
 そう言う妖精たちだが、口調はいたって気軽なものだ。世間話をするような雰囲気で、リームはどんな表情をしたものか迷ってしまう。
『それで、どうすればいいんですか?』
『一番いいのは、死体だね』
「え゛」
 リームは固まった。相変わらず気軽な調子で妖精は続ける。
『動物の死体があると、フィードの流れががらっと変わるんだ。僕らにとっては良いことづくめさ。でも僕らは狩りができるほど強くないし、死体を運べるほど大きくもないし』
『弱ってる動物を誘導するぐらいしかできないかなと思ってたんだけど、人間の魔法士さんが協力してくれるなら良かったね』
『えーとつまり……何か狩ってくる?』
『うん、それでもいいし、あとはフィードの流れを何とかしてくれるならそれでもいいし』
 何とかとはどういうことか。リームは目を閉じてフィードを観察した。土と水の黄緑色のフィード。確かに他よりも弱々しい気がする。リームは〈杯の雫〉を唱えた。水のフィードを集め、少量の水を手のひらの上に生み出す。
『こういうことなら、できますけれど』
『それはフィードを集めただけだよね? 流れは変わってないから意味がないよ』
『もっと広い範囲からいろんなフィードを集めて、ここに固定してくれるんだったら役に立つかも』
『ごめんなさい、おそらく無理です……』
 これ以上の量のフィードを扱うのは無理だったし、固定というのも全然分からない。魔法士と名乗ってしまったものの、まったくの役立たずだ。妖精たちに呆れた様子やがっかりした様子は見られなかったが、リームは自分で自分が情けなくなってしまった。
『まぁ別にできなくても困るわけじゃないしね。僕らも気が向いたからって感じだから』
 その時。
 がさがさと横の茂みが揺れ、何か黒い影がぬぅっと現れた。大きい。リームが見上げると、そこに立っていたのはつぶらな瞳の雑食獣ビアーだった。黒い毛皮に覆われた大きな体、太い腕には鋭い爪。雑食獣――つまり、肉食でもある。そして今は、秋である。
『あ、丁度良いね』
「よくないよ!? 私、こんなの狩れないよっ!?」
 あくまで気軽な感じの妖精に、人間語で叫ぶリーム。妖精はたぶん意味を理解できなかったはずだが、笑顔で言った。
『死ぬなら是非あの花のそばでよろしく!』
「私のほうが!?」
 妖精たちにとっては、ビア―も人間も『動物』ということ以外に大きな差はないようだった。
 ざっ、とビアーが一歩前に進み出た。視線は真っ直ぐリームを見ている。牙の覗く口元からは涎が垂れているようだ。どうしよう。リームはビアーを見たままじりじりと後ろに下がった。視線を外したら襲われる予感がした。どうしよう。こんな大きな獣に対抗できる魔法なんて使えるはずがない。今のリームにできるのは、小さな光や火を呼び出すことぐらいだ。火、火か……。
 リームはビア―を睨みつけたまま、感覚を広げた。ぼんやりと感じる黄緑のフィードの中から、わずかな赤いフィードがある場所を探す……たぶんそこは落ち葉や枯れ枝がある場所だ。リームは呪文を唱えた。かつてないほど集中して一音一音に命を吹き込む。
 ぼうっと、リームのななめ後ろの地面が燃えた。落ち葉がパチパチとはぜる。ビアーの視線が逸れたのを感じて、リームは炎のそばに走った。たき火ほどの大きさの炎の後ろにまわり、何か松明代わりになる枝のようなものはないかと探したが、あいにく見つからなかった。
 ビアーは火をおそれて近づかなかったが、そこから離れようともしない。火が消えるのを待っているのだろうか。確かにそう長いこと火は維持できないだろうし、火から離れて逃げようものなら、すぐに追いつかれてしまうだろう。ああ、結局どうにもならない。やっぱり役立たずだ。ここでビアーと森の木々の栄養になってしまうのだろうか。『青』になるどころか、一人前の魔法士にすらなれずに終わってしまう。
 びゅうと風が吹いた。リームは火が消えないかとひやりとする。その耳に、くすくすと笑い声が届いた。
『うふふ、だめよ、リームちゃん。こんなところをうろうろしてちゃ』
『偉大なる大樹の友が心配するでしょう』
 風の精霊がふわりとリームの髪をかき混ぜた。ラングリーの塔の近くで見かけた精霊と同じような気もするし、違う気もする。顔かたちは異なるはずなのに印象が似ていて、リームにはあまり見分けがつかなかった。
『た、助けに来てくれたんですか?』
『そうかもしれないわね』
『違うかもしれないわね、くすくす』
『ティナかラングリーを呼んできてくれるだけで、すごく助かります』
『それには及ばないわ』
『それをする立場にないわ』
『でもあれをなんとかするくらいはできるかもね』
『お腹をすかせたビアーさん、これは餌ではないのよ』
 すいっと、半透明の風精霊は空中を泳ぐようにビアーに近づき、くるくるとその周囲を回った。ビアーはぐるると唸っていたが、しばらくしてリームとは逆方面に去っていった。
 リームはそれを見送って、深く深く息をついた。全身から力が抜けるようで、思わず座りこんでしまいそうだったが、近くの木を支えにしてなんとかこらえた。
『ありがとうございます……』
『ふふふふ、あとは彼にお任せね』
『お呼びではない可哀相な彼ね、くすくす』
 風精霊はつんつん、とリームの頬をつついたあと、空に溶けるように消えてしまった。結局、助けに来てくれたということなんだろうか。風精霊の考えていることは本当に分からない。ふと見ると、先程の妖精がたき火を見ていた。
『これは使えるかもしれないね』
『死体ほどじゃないけどね。この灰もらっていいよね? 何か使う?』
『いいえ、使いませんよ。どうぞ』
『ありがとう!』
 あの花のそばで死んでね、と笑顔で言ったことを何一つ気にしていないらしい彼らは、根本的に人間とは違う考え方をする生き物だった。精霊も妖精も、言葉は習えてもその心までは習えない。
 ざくざくと草を踏む音が聞こえて、リームはびくっと振り返った。しかし今度の足音は黒い獣ではない。ずっと小柄な黒いローブ姿だった。
「リーム、こんなとこにいたのか! 何してたんだ?」
「ミハレット」
 普通につぶやいたはずだったのに、自分の声が震えているのを聞いて、リームは口元を押さえた。目の前がにじむ。気恥かしさと悔しさにリームは奥歯を噛んで、ミハレットから顔をそむけた。
「お、おい、リーム?」
 駆け寄ってきたミハレットが、白いハンカチを差し出してきた。ローブや髪形だけでなく所持品まで同じとは、こいつはどこまで師匠になりたいのか。リームは可笑しくなってしまって泣きながら笑った。
「大丈夫だから、ごめん。ありがと」
「本当に大丈夫なのか? 何かあったのか?」
「ううん、大丈夫。ミハレット、私を探しに来てくれたの?」
「そうだ。フローラ様が心配なさってるぞ」
「フローラ様が……あのさ、私のこと、何か聞いた?」
 そっとミハレットの表情をうかがう。心配そうな表情の他は、特に何も変化は見られない。
「あぁ。フローラ様の養子候補だったそうだな。それで師匠の弟子になるキッカケになったんだろ? ラッキーだったなぁ。ついでに養子になれば良かったのに。まぁ魔法士を目指すんだったら、ストゥルベル家の跡継ぎは面倒だな。それは分かる」
「でしょ? 分かるよね? そうなの、面倒なんだよっ」
「でも、フローラ様の養子ってことは、ほぼ師匠の養子みたいなものじゃないか! いいなぁ、師匠の養子! オレもできることなら師匠を父上と呼びたい! ああ今度呼んでみてもいいだろうか!? 絶対蹴飛ばされるけど!」
 力説するミハレットの姿に、リームは分かってもらえたかもしれないという淡い気持ちを、きれいさっぱり吹き消されてしまった。涼しい秋風が吹き抜ける。
 でもどうやら、自分がフローラ姫の実の娘だという……いや、かもしれないという話は聞いていないようだ。
「もしかして、養子の話がもう一度あがってきてるから逃げたりしたのか? だめだぞ、逃げたりしないで嫌なら嫌とちゃんと言わなきゃ伝わらないからな」
「そんなこと分かってるよ」
 似たようなことを前も言われた気がする。そんなに自分は逃げてばかりだろうか? ……そうだな、逃げてばかりだ。リームはひとつ頷くと、ミハレットのほうに向きなおった。
「あのね。落ち着いて聞いてほしいんだけど、実は、私……」
「なんだ?」
「……私は……」
「…………」
「…………………か、帰り道、分からなくなっちゃったんだけど、どっちかなっ!?」
「あぁ、迷子だったのか。やっぱりな。そんなことだろうと思ったよ。ほら、こっちだぞ」
 駄目だぁぁぁっ! 言えないっ!
 リームはミハレットの後ろを歩きながら心の中で叫んだ。言えない。なんで言えないのか自分でも分からない。リームは悔しくなって、また目尻に涙をにじませた。今絶対振り返るなよ、とミハレットの背中をにらみながら。



「お待たせしてしまって、本当にすみませんでした」
「いいのよ、リーム……でも驚いてしまったわ。何か理由があったの……?」
「おじさ……ラングリー師匠の顔が気に食わなかったので」
 ミハレットに怒涛のごとく文句を言われるのが分かっているので、呼び方を言いなおす。当の腹黒タヌキはにやりと笑い、確かにこの表情が嫌だったのは嘘じゃない、と、リームは思いながらラングリーを睨みつけた。
 サリタの花畑の中央には、白いテーブルセットに座る五人と、小さなワゴンの傍に控えている侍女数人。琥珀色のお茶は香り高く、テーブル中央に用意された焼き菓子はナッツがたっぷり使われていた。
「あらまあ、またケンカでもしたの……?」
 うるうると瞳に涙を溜めながら言うフローラ姫。その隣の席で、ラングリーは悪戯を企てる子供の笑みでリームを見る。ぷいっと顔を逸らすリームの反応は、まさしくケンカ中に見えることだろう。
「ふふふ、師匠と弟子なんて、ケンカがつきものさ」
「そうなんですか!? オレ、ケンカしたことないですよね? つきものなんですか? したほうがいいんですかっ?」
 席から身を乗り出して言うミハレットに、ラングリーは肩をすくめる。
「まぁお前の場合はケンカにならんからなぁ」
「だめよ、ラングリー。また声を出なくする魔法なんてかけたら、可哀相でしょう……」
 ちょっと耳を疑うような内容にも、驚くのはリームだけのようだ。隣の席に座るティナも、のんびりお茶を飲みながら言う。
「そんなことしてたんだ……ミハレットくん、がんばるねー」
「いえっ、オレとしては一生あのままでも良かったんですよ! 師匠の弟子にしてもらえるんだったら、声が出ないことくらいなんでもなかったです!」
「はっはっは、どうですこの面倒くささ、すごいでしょう。ティナ殿に一匹くれてやりたいくらいですよ」
「いやー、遠慮しておくかなー」
 紫色の花が揺れる森のお茶会に、和やかな笑い声が響く。リームは少し目をふせて琥珀色のお茶を一口飲んだ。
 ふわっとフローラ姫が優雅に立ちあがった。するするとリームのそばに近づいて、突然、横から抱きしめた。
「フ、フローラ様っ!?」
「元気ないわね、リーム……ぐすっ。大丈夫よ、ケンカなんてすぐ仲直りすればいいのよ」
「そーだぞぉ、リーム。仲直りしよう、仲直り」
 満面のにやにや笑いという表現もおかしなものだが、そうとしか表現できないラングリーに、リームはフローラ姫の腕の中から呪いの視線を送った。
「うーん、お似合いだと思うけれど、こればっかりはリームが決めることだしな。確かにストゥルベル家はなぁ……」
 ミハレットのつぶやきにティナが尋ねる。
「エイゼル国王に王子が生まれた今でも厄介なの?」
「はい。まだ幼い王子に次ぐ、王位継承権第二位の公爵家ですから。オレの家でさえかなり面倒なんですよ。オレには兄が何人もいますから、だいぶマシですけれど。フローラ様にも他に跡継ぎがいらっしゃれば別なんでしょうけれどね」
 それを聞いていたラングリーは、お茶のカップを手に取りながら何気なく言った。
「もし可能性があるとすれば、たぶんそろそろだと思うんだがな。フローラ、体調はどうだ?」
「まだ分からないわ。あと二週間くらいすればはっきりすると思うけれど……」
「えっ」
「え?」
「あぁ」
 三人の視線がフローラ姫に集中する。フローラ姫は秋咲きの薔薇のように微笑んで、腕の中で固まる娘にささやいた。
「またはっきりしたらお話するわね」
 雲間から柔らかい日差しが降り注ぎ、森の木々を通り抜けた風はどこか甘い匂いを運ぶ。実りの秋はこれから深まる季節だった。


― 雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ4   終 ―

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