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雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 1 「黒竜の守護する国」



(1)不思議な雑貨屋

(意外と普通なんだ……)
 噂の雑貨屋を見つけたとき、リームはそう思った。
 王都から馬車で2日。交易の中継地点として程よく栄えた街、レンラーム。
 街の中心を走る石畳の道の、両脇に並ぶ商店がまばらになってきた所に、それは在った。
 木の戸がついた窓は開けられていて、店内のテーブルや棚、壁にいたるまで様々な商品が所狭しと並んでいるのが見える。
 店内が明るいのは窓から入る光だけではなく、おそらく魔法道具の明かりがあるのだろう。高級品を売る店でもないのに贅沢なことだ。
 その窓の隣、店の入口の上には、青地に黄色の飾り文字の看板が掛けられていた。
 『雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ』と――。

                              

「あんまり……というよりも、全っ然おすすめできないんだけどね、お嬢ちゃん」
 仕立ての良い服を着た恰幅のいい中年女性は、カウンターのむこう側からそう言った。働き手募集の紙束をぱらぱらめくりながら、その中の1枚を引き抜く。
 ここはレンラーム商業組合。クロムベルク王国の商業ギルドに属する組合の中ではけして大きくはないが、商店街の裏手に位置する事務所は小さいながらもきれいに整えられていた。主に王国東部と王都間の流通情報、働き手や護衛の斡旋、世界を股にかける大商人から街の小さな小売店まで、その利用者は幅広かった。
 とはいえ、見たところ12〜3歳の少女がひとりで来るのは珍しいだろう。
 肩までの黒髪に利発そうな赤褐色の瞳。生地は悪くないが装飾に乏しい灰色の服。肩にかけられるよう紐をつけた荷物袋は、子供の体には大きめで……しかし、風従者のように旅慣れた格好ではない。訳ありなことがバレバレなのは、少女――リームも自覚があった。
 リームは自分の胸くらいの高さまであるカウンターに両手をかけ、受付の女性を見上げる。
「お、おすすめできないって……どういうことですか? やっとここまで来たんです。お仕事、紹介してもらえるんですよね?」
「ん、確かにこの紹介状は有効だよ。うちに来るのは初めてだけどね、他の組合から話は聞いてる。悪いようにはしないさ。ただタイミングが悪くてねぇ。今、お嬢ちゃんができるような仕事っていったら、これくらいしかないんだよ。ほら、共用語は読めるんだったね」
 受付の女性はカウンターの上に1枚の紙を置いた。
「雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ、手伝い募集。リゼラー通りの端にある店さ。お嬢ちゃんの希望通り住み込み可だし、若い女主人だから気兼ねなく話せるだろうよ。ただ……いや、まぁ、今言うことじゃないかねぇ……」
「えっ!? そこまで言ったなら話してくださいよっ」
 ぴょんぴょんと小さく跳びはねながら主張するリームに、受付女性は逡巡するように唸って視線をくるりと天井へすべらせ、ゆっくり言葉を選びながら言った。
「私も実際に見たわけじゃなくて、噂だけなんだけどね。……いろいろと変な店なんだよ、ここは」
「変って……?」
「買った商品がいつのまにか融けた、とか、2階から怪しい閃光や爆発音が聞こえる、とか。店主が魔法士だろうってのは想像がつくんだけど、それにしたって、おかしなことが多すぎるのさ」
 眉をひそめて半信半疑の視線を向けるリームに、受付の女性は肩をすくめてカウンター上の紙に何事か書きこんだ。
「信じる信じないは自由だよ。お嬢ちゃんは理由があってここにいるんだろ? 帰れないんなら働くしかないし、すぐに働けるのはここしかないからね」
 受付の女性はその紙を折ってリームに差し出す。リームは一瞬ためらってから、両手でそれを受け取った。
「まぁ、王都からここまで来た気概があれば大丈夫だろうよ。お嬢ちゃんに王妃様と神々のご加護があらんことを!」

                               

 春らしい暖かな日差し、薄い雲の浮かぶ空。雲よりも速く、何かが太陽の前を横切った。
 この国の民はそんな時、笑顔で空を見上げる。
 青い空を横切る黒い影。漆黒の鱗を春の日差しにきらめかせた、竜。
 クロムベルク王国を『黒竜に守護された国』と言わしめるその存在は、18年前にこの国の王子と結ばれた現王妃の真の姿だ。
 国民は親愛の眼差しで王国の守護者を見上げ、ときに祈る。
「雑貨屋で怪しい魔法実験の材料にされませんように……雇い主が良い人でありますように」
 そんな願いを王妃様が叶えてくれるとは到底思えなくても、とりあえず祈ってしまうのは幼いころから染み付いた習慣なのか。
 組合でもらった紹介状を握り締め、全財産である荷物ひとつを抱えて向かうは、不思議な――むしろ怪しい雑貨屋。
 通りに立ち並ぶ商店でその雑貨屋の話を聞いてみたが、どれもこれも組合での話を裏付けるものばかりだった。
 火にかけたら溶けてしまう鉄鍋が存在するなど信じられないが、これだけ噂があると完全な作り話ではないような気がしてきてしまう。
 そんな話を聞いてきたものだから、もっといかにも怪しげな、腰の曲がった魔法オババが紫色の液体を混ぜているような店を想像していたのだ。
 いざ来てみれば、他の店と変わらない外観で。
 開いた窓から見える店内も、そこに並ぶ品々も、外から見る限りではいたって普通だ。品揃えが幅広すぎて少しまとまりがない印象があるくらいだろうか。
 そもそも、主要な通りに魔法灯が常備されてるくらいの規模があるレンラームの街であれば、金物屋、陶器屋、靴屋に服屋などなど専門の品を売る店がほとんどであり、田舎町にひとつだけあるような『何でも揃う雑貨屋』は本来必要とされてないように思える。まずそこの部分からしてちょっとヘンな店なのだ。
 でも今はその店を頼るしかない。店主が魔法士であるのも、本当なら幸運なことだ。ちゃんとまともな魔法士であればだけれど。
 もう一度店の看板の名前と紹介状に書いてある名前を確かめて、リームは祈りの言葉を呟くと、意を決して店の中へ入っていった。


 狭い店内に窓は1つしかなかったが、魔法の明かりがいくつか天井付近に浮いているので十分明るかった。
 中央に大きなテーブルがひとつと、壁にそって棚や台がいくつかあり、そのテーブルにも棚にも台にも所狭しと商品が並んでいる。 そして一番奥にカウンター があるのだが、今は無人だ。カウンターの向こうに2階への階段と裏口の扉が見えるので、そのどちらかに店主はいるのだろうか。商品を並べっぱなしで誰もいないとは無用心なことだが、きっと店主は魔法士なのだから魔法でなんらかの仕掛けを施してあるのだろう。
「すみませーん……」
 小声で呟いてみても聞こえるはずはない。そろそろと店内を奥へすすむリーム。横目で商品を見てみるが、見た目に融けそうとか爆発しそうとか、そういう印象は 受けない、いたって普通の商品だ。
 ただ本当に雑貨屋というより何でも屋というような、寄せ集めの品揃えではある。鍋やまな板、包丁から調味料、小物入れ、袋、ほうき。生活必需品だけでなく、アクセサリーや置物、はては鎧や武器まで並んでいた。
 カウンターには、美しい細工の呼び鈴が置いてあった。魔法道具だろうか。傍に置いてある紙に『御用の方は鳴らしてください』と書いてある。公用語の他にリームの読めない文字が数種類書いてあり、文字が読めない人のためか、呼び鈴を鳴らす絵も描いてある。
 リームはしばらくじっとその呼び鈴を見て、階段の上と裏口、そしてもう一度店内を見回し――思い切って呼び鈴を鳴らした。
 チリンチリィーーン
 澄んだ音色が店内に響く。一瞬の間があり、ぱたぱたと2階から足音が聞こえた。予想していたはずなのに心臓がどきんと鳴り、リームは思わず半歩下がってしまう。
「おまたせしましたー! お買い上げでしょうか? それとも何かお探しでしょうかー?」
 営業スマイルで階段を下りてきたのは、話に聞いていた通り若い女性だった。少女といってもいいくらいで、おそらく17〜8歳ぐらいだろう。長い金髪を高い位置でひとつに結っていて、丸首のシャツと細身のパンツ、薄くてゆったりとしたシルエットの上着を着ている。
 もう少し魔法士っぽい格好を予想していたのだが、どこにでもいそうな動きやすい服装だった。そうだ、もしかしたらこの人は手伝いで、店主ではないかもしれない。
「あ、あの、私は客じゃなくて……実は商業組合で」
 バタンッ!!
 話し始めたその時、店の入口の扉が音をたてて開いた。リームが思わず振り向くと、ヒゲ面のオジサンが顔面蒼白で駆け込んできた。小さな壺を持った両手を思い切り前に突き出したままカウンターに駆け寄ると、熱いものでも触ったかのようにぴゃっと壺から手を離す。ごとん、とカウンターの上に放られた壺は、茶色のつるりとした表面のシンプルなもので、どこにでもある普通の壺に見える。
「おおおおおおいっ!! 店主っ、店主はどこだいっ!?!?」
「この店の主は私ですけれど、どうかしましたか?」
 オジサンの様子に少し目を丸くしつつも慌てる様子はなく、あっけらかんと小首をかしげて金髪の女性が答えた。あ、店主だったんだ、と思いつつ、リームはカウンターから後ずさりながら成り行きを見守る。
「どうかしたっ!? そうだ、どうかしてるんだよ、この壺っ!! 3日前にここで買った壺さ。入れておいた塩がなくなってるから、おかしいなとは思ったんだ! それが……ああ、なんでもいい、その壺に何か入れてみてくれっ!!」
「何か、ですか。んー」
 店主はカウンターの下から一番少額な銅貨を取り出すと、つるりたとした茶色い壺に入れた。3人の視線が壺に集まる――何も起こらない。
「……あのー?」
「……ひ、ひっくり返してみてくれ……」
 壺を指し示すオジサンの指先が震えている。店主はきょとんとした表情のまま何気なく壺をひっくり返した。――何も出てこない。店主は壺を覗きこんだ。
「あれ? 消えた?」
「そうっ、そうなんだよっ! その壺は、中に入れたものを喰っちまうんだっ!! あああ恐ろしい、悪魔の壺だっ!!」
 真っ青な顔で叫ぶオジサンをよそに、店主はマイペースに壺をひっくり返したり覗き込んだり振ってみたりしている。
「そんなことはないと思うんですけどねー。うーん、ごめんなさい。すぐに原因は分からないです。あと無くなったものも……」
 何気なく、店主は壺に手を突っ込んだ。うおっ!?とオジサンが目をむく。壺から引き抜いた店主の手は、しかし齧られているなんてことはなく、ひらひらと横に振られるばかり。
「ダメですね。行方不明です。この壺、お預かりしていいですか? もちろん料金はお返ししますし、無くなった塩の代金もお支払いしますね」
「あ、あぁ、もちろんだ! そんな物騒な壺、家に置いておけるかっ! いつか自分も喰われちまうんじゃないかっ!?」
「あははは、そんなことはないですよー……たぶん」
 店主が銀貨を数枚渡すと、オジサンは(おそらく後ろから襲ってこないか心配しているのだろう)壺をちらちら振り返りながら小走りで店を出て行った。
 ――残されたリームと店主の間に、微妙な沈黙が落ちる。
「ごめんなさいねー。それで、なんだっけ?」
 いそいそとオジサンの残していった壷をカウンターの内側にしまいつつ、店主はリームに話しかけた。
「……えっと、そのー……」
 やっぱりこの店で働くのはやめたほうがいいのかも、と、かなり、とっても、強く思ったリームだったが、ではどうするのか。組合ではこの店ぐらいしか働く場所がないと言っていた。別の街に行こうにも、もう路銀は尽きている。ひとりで生きていこうと決めたのに、ここで終わってしまうのか……。
 リームは紹介状を持つ両手にぎゅっと力を込めて、真っ直ぐに店主を見上げた。
「私……リームっていいます。組合から仕事の紹介状をもらってきました。ここで働かせてください!」
 一息にそれだけ言うと、リームは店主に紹介状を突き出した。若い店主は納得した表情と思案するような表情おりまぜて紹介状を受け取る。
「あぁ、そういえば随分前に募集出してたのよね。んー、まぁ年齢の指定はつけなかったけど……リーム? っていうの? えーと、12歳?」
「あ、はい、もうすぐ13歳になります」
 リームは足を揃えて、背筋を伸ばし、ちょっとかかとを上げてみた。どうせ確実な誕生日は分からないのだから、嘘にもならないだろう。
 店主は思案顔のまま頷き、紹介状に書いてあるリームの情報を読み進める。
「で、公用語の読み書きはできる、と。……住み込み希望? 家族は?」
「いません。だから働くところを探してるんです」
「なるほどねー……」
 店主は紹介状から再びリームへと視線を戻した。孤児にしてはリームの身なりは清潔だったし、ひと抱えとはいえ荷物もあった。事故か何かで家族を失ったのだろうか。年齢にしてはしっかりしているし、なにより壷のやり取りを見ても出て行かなかったのだ。
 不安げに、しかし真っ直ぐ店主を見つめるリームに、店主はにっこりと笑いかけた。
「いいわよ、雇いましょう。私は店主のティナ・ライヴァート。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします!」
 差し出された手を握り、リームの不思議な雑貨屋での生活が始まったのだった。

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