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雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 2 「青の魔法監視士」



(4)夜分の来客

 日は随分と傾いて、ほのかな橙色に染まりつつあった。
 普段より1刻半ほど遅い帰宅だ。本当なら急がなければならないのだが、リームはとても急ぎ足で帰る気にはなれなかった。もちろん買い物の荷物が重いわけではなく、ずっしりと重たいのは胸の中だ。
 そろ〜っとリームが雑貨屋の扉をあけると、ティナはカウンターの椅子に腰掛けて本を読んでいた。リームに気がつくと、いつも通りのけろっとした微笑みを返してくる。リームは自分が動揺しているように見えないか心配だった。
「リーム、どこまで買い物に行ってたの? 随分遅かったじゃない」
「ご、ごめんなさい……ちょっと、友達と話しこんじゃって」
「いや、別に急ぎの買い物じゃないからいいんだけど。なんでそんなに縮こまってるの? 怒られると思った?」
「え、えっと、うん、やっぱり遅刻は良くないし」
「さすが神殿育ちだと厳しく育てられてるのね〜」
「はい……それじゃ、これ台所に置いてきますっ」
 自分でもひきつっているのが分かる笑顔で言うと、リームは荷物を裏手の台所へと置きにいった。ティナがいるカウンターの横を通る時は、知らず早足になる。ティナから見えない位置にくると、ちらりと左手首のブレスレットを確認した。特に何の変化もない。一体何を調べる魔法具なのだろう。
 リームが店内に戻ると、ティナはいつも通りリームに店番を任せて2階にあがっていった。ほっと息をつくリーム。――早くこんな状況から抜け出したかった。


 もう夕方に近い時間になっていたので、ほどなく閉店の時間となり、ティナも2階から降りてきて夕食の準備を始めた。用意された食事は、予想通りの鶏肉のクリーム煮と、豆とタッタ菜のサラダ、ライ麦パンだ。
 いつも通りカウンターに椅子を並べて夕食を食べながら、それとなくティナの様子をうかがっているのだが、今のところ何か気づいている様子はなかった。ブレスレットの話題にもなったが、友達とおそろいで買ったと言ったらすぐに納得したようだ。少なくともリームにはそう見えた。
 夕食を半分ほど食べ終えた頃、トントンと店の扉を叩く音が聞こえた。もちろん表には閉店の看板を出してあり、ただでさえ訪ねる者の少ない店なのだ、こんな時間の来客はリームは初めてだった。
 まさか『青』じゃ……? リームは冷やりとしたが、すぐに思いなおす。直接訪ねてくるのならば自分に魔法具を持たせる意味がない。『青』じゃないはずだ。たぶん……。
「はい、どちらさまでしょう?」
 そんなリームの心中をまったく知らないティナがなんの警戒もなく扉を開けると、そこには黒いローブを着た三十代の黒髪の男性が、葡萄酒の瓶と食材の入ったカゴを持ち、とってつけたような満面の笑みで立っていた。
「やあ、ティナ・ライヴァート殿。美味しい葡萄酒が手に入ったので一杯どうですか?」
 クロムベルク王国宮廷魔法士、リームいわく腹黒ノゾキ魔オジサン、ラングリーだった。
「ラングリー! どういう風のふきまわし?」
「ええっ、オジサンですか!? なんの用なんですか? 用があってもなくても帰ってください!」
 リームは来客が『青』でなかったことにほっとしつつ、宮廷魔法士ラングリーだと分かった瞬間、ほぼ条件反射で冷たく言い放った。当のラングリーはそれを見て、はぁ〜と芝居がかったため息をついて肩をすくめる。その様子は相変わらずどこか楽しそうで、リームはそれをバカにされているように感じるのだった。
「おいおい、それはないだろう。ちゃんとリームのためにジュースも持ってきたんだぞ。フローラとばかりお茶してるんだから、たまにはお父さんとも付き合ってくれたっていいだろう」
「ゼ・ッ・タ・イ・に、嫌っ!!! 私にお父さんなんていなーいっ!!」
「まったく、難しい年頃だよなぁ。で、入れていただけますね? ティナ殿」
「ん。まぁ、とりあえずどうぞ」
 ティナが下がってラングリーを招き入れると、リームはえーっと不満の声をあげた。食事中の皿を持って、ずりずりっと椅子と一緒に少し後ずさり、ラングリーに拒否の意志を示す。カウンターまで進んできたラングリーは楽しげな表情でそんなリームを見やり、葡萄酒のビンと食材のカゴをカウンターの上に置くと、ぐるっと雑貨屋の店内を見回してつぶやいた。
「ふぅん、かなり古い形式の結界だな。下手に小細工してない分、無難ではあるか」
 ティナは再びカウンターの椅子に戻り、ラングリーの持ってきたカゴの中身をチェックしながら言う。
「もしかして、結界が張ってあったから様子を見に来たの? 随分暇なのねぇ」
「王妃様がいる以上、宮廷魔法士なんて半分趣味のようなものですよ。もちろん、リームの顔を見に来たって理由もあるがな」
 にっこり笑ってリームを見るラングリー。リームはつんとそっぽを向いたままだ。――と、ラングリーの視線がリームの皿を持つ左手首に止まる。ラングリーは笑顔から怪訝そうな表情に一転した。
「……? なにか発動してる……か? こっちは結界と違ってかなり手の込んだ細工ですね、ティナ殿」
 その言葉にティナはきょとんと小首をかしげ、リームははっと息をのんでブレスレットを手で覆った。
「え? 何? そのブレスレットがどうかしたの?」
「ん? ティナ殿が作った魔法具ではないのですか?」
 二人の視線が、リームに重なる。
 蒼白な表情で凍りついたリームは、急にぽろっと大粒の涙をこぼした。
「ど、どうしたのっ、リーム!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!! ティナのためでもあるって、思ったんです!!」
「おいおい、どういうことだ?」
 もうだめだ。やっぱりこんなことしなきゃよかった。リームには、ティナの傷ついた表情、怒りと軽蔑が入り混じった表情が見えるようだった。『私を青に売ったわけね』『そういう子だとは思わなかった』『信じてた私が馬鹿だったわ』――とてもティナが言いそうな言葉には思えないが、ありありと目の前に浮かんできてしまう。胸が苦しくて顔が熱くて、涙が止まらなかった。
 ラングリーは(何故持っているのか)女物の柔らかなハンカチを取り出し、リームに差し出しながらリームが手に持つ料理を受け取った。リームはひっくひっくとしゃくりをあげながらハンカチを受け取ると、ぐしぐしと目元を拭く。そして、ゆっくりとブレスレットを外し、カウンターの上に置いた。
「ひっく……『青』の人から、渡されたんです。ティナの調査をするための、魔法具みたいです……」
「あぁ、なるほどねー。様子がおかしかったのは、そのせいだったの」
 リームにとって自分の胸にナイフをつきたてるぐらいの、決死の覚悟を決めた告白だったが、ティナの口調は信じられないほど軽いものだった。なーんだ、そうだったんだー、とでもいうような感じであった。
「き、気づいて、たんですか……っ?」
「んー、実は彼氏でもできて隠してるのかなーと思ってた。あははっ、とんだ見当違いだったわねっ」
「……怒って、ないですか? ティナの嫌いな『青』に協力して……ティナを騙すようなまねをして」
 目を真っ赤にして震える声で言うリームに、ティナは優しい笑顔で答える。
「怒るはずないじゃない。憧れの『青』から頼まれて、悩んでくれただけで嬉しいよ。ありがとう」
 ティナは私が悩んで苦しかったこと、分かってくれるんだ。許してくれるんだ。
 辛い気持ち以外の感情が心の底からわっと湧きあがってきて、リームは再び声をあげて泣きだした。
 ティナはそんなリームの頭をよしよしとなでる。姉妹というよりは母娘のようだった。
「話は大体分かったが……今の状況向こうに筒抜けだぞ? どうしますか、ティナ殿?」
 いつのまにかカウンターに置かれたブレスレットを手に取り、じっくり観察していたラングリーが言った。ティナは『青』のふたりのことを思い出したのか、面倒くさそうな表情をする。
「状況って、何が伝わってるの?」
「そうだな……ちょっと待っていただけますか。今、開いてみましょう。фБлбζ=θБл・фбζθ・・・・・」
 ラングリーが流れるように呪文を紡ぐと、ブレスレットを中心に光の魔法陣が展開された。いくつもの魔法陣が歯車のように重なり合い、何千もの魔法文字が空中に連なる。ラングリーの唱える呪文に呼応して、その文字は刻々と変化していくようだった。
「……魔力の流れや使われた魔法の詳細、時空のひずみが特に目標とされてますね。実際の音声なんかも一応集めているようですが、副次的なものでしょう。……おっと」
 突然、展開されていた魔法陣が端から順に消えていった。数秒後には光が完全に消え、ラングリーはただのブレスレットに戻った魔法具をカウンターに戻すと、半分笑いながらティナに言う。
「むこうにバレました。たぶん、ここに来ますよ。どうします?」
「ええっ!? 今、ここに来るの!? どーするのよっ」
 詰め寄るティナに、ラングリーは軽く胸の前で両手をあげた。
「いや、俺がどうこうする問題じゃないと思うんですがね。ティナ殿はどうしたいのですか?」
「そりゃあ……なるべく関わりたくないのよ。『青』と。宮廷魔法士となんて一緒にいるところ見られたら……ん? ちょっと待って。これは……使えるわ」
 一転してにっこりと――いや、むしろにやりと微笑み、きらーんと光る瞳でラングリーを見るティナ。逆に、ラングリーからは面白がっているような余裕の笑顔が消えた。
「な、何を企んでいらっしゃるのですか?」
「いえ、大したことじゃないのよー。ただ、せっかくここに天下の宮廷魔法士様がいらっしゃるんですからぁ? 宮廷魔法士様だったら、不可能を可能にするぐらい、得意の魔法でちょちょいのちょいよね」
 やっと落ち着いてきて、まだ少し鼻をすすりながら成り行きを見ているリームには、ティナがラングリーに何をさせたいのかまったく見当がつかなかった。しかし、ラングリーはその内容を理解したらしい。
「それはつまり……この雑貨屋の不思議をすべて背負えと?」
「よ、ろ、し、く♪」
 楽しげに言うティナにぽんっと肩を叩かれ、ラングリーは今まで見せたことのない焦りがにじむ表情で言った。
「待て待て。俺はただの人間だ。そんな無茶言うなら、それなりのものを用意していただかないと」
「それなりのものって何よ。欲をかくとフローラさんにあることないこと言いふらすわよ」
 やっぱりそこなんだ、と、ちょっと離れた位置から様子を見守るリームは思った。ラングリーは勘弁してください、とつぶやきながらも、はっきりと言う。
「この雑貨屋の不思議を背負えるぐらいの何か、ですよ。俺は宮廷魔法士ですし、自分の魔法技術にはそれなりに自信がありますがね、人間の魔法士であることに違いはない。万が一『青』に調査された時、ボロがでないようにしておくべきでは?」
「まぁそれはそうね……。いいわよ、考えときましょう」
「約束ですよ? では、お客様も様子をうかがっておられるようですし、さっさと終わらせますか」
 そう言って、ラングリーは雑貨屋の店の入口まで行くと、扉を開け、姿の見えない客人に声をかけた。
「ようこそ、魔法監視士殿。良い葡萄酒があるぞ。一杯どうだ?」
 しばらくの沈黙の後、空気から溶けるように姿をあらわしたのは、鮮やかな青い正装を着たふたりの『青の魔法監視士』だった。



「まさか、ラングリー殿の仕業だったとは……事前にひとこと言っておいていただければ」
「いくら『青』にでも、報告できないことはある。宮廷魔法士とはそういう仕事だろう?」
 ラングリーが『青』に対し、この雑貨屋の不思議な商品はすべて自分の用意したものだと説明し終えた後、5人はラングリーの持ってきた葡萄酒とツマミをかこんで軽い食事をしていた。
 イシュとダナンは元々ラングリーと面識があったらしい。イシュはかなり難解な魔法用語を並べ立ててラングリーにむかっていったが、ラングリーはすらすらと受け答えていた。
 そして、何故こんなことをしているのか、という問いに関しては、国家機密だ、と笑顔の一言で終わらせた。『青』もそれには何も言えないらしい。宮廷魔法士はやっぱり便利だわ、とティナは内心思いながらほくほく笑顔だった。
「しかし、嬢ちゃん、ラングリー殿と関わりがあるとは幸運だな」
「えっ!?」
 ダナンにそう言われ、リームは眉をひそめて声をあげた。腹黒宮廷魔法士と関わって良いことなんてひとつもない。いつもバカにされたり子供扱いされたりで不快な思いをするばかりだ。
 しかし、驚いたことにイシュまでもがダナンに賛同の意を示した。
「そうですね。ラングリー殿はこのわたくしが認める数少ない宮廷魔法士です。魔法構成、特に結界魔法における技術は、シェイグェールにも並ぶものは少ないでしょう。お嬢さんがもし『青』を目指すのでしたら、是非その技術を学ぶべきです」
 リームはイシュを見ると、魔法の才能がない、『青』にはなれないと言われたことを思い出してしまい、少し気持ちが沈んでしまう。あれだけきっぱりとリームの魔法に厳しい判定を下したイシュが、ここまで力を認める発言をするなんて思いもしなかった。
 ラングリーは自分への評価は当たり前のものだと思ったようで表情になんの変化も見せなかったが、『青を目指す』という部分を聞くと、軽く眉をあげてリームを見た。
「なんだ、リーム。お前、『青』になりたかったのか?」
「えっ、いやっ、違っ……わないけど、違うっ?!」
 一番知られたくない相手に自分の夢をばらされて、リームはしどろもどろになった。性格ひねくれた宮廷魔法士のオジサンみたいになりたいと思ってるなんて勘違いされてはたまらない。案の定、ラングリーはひとりうんうんと満足げに頷いているではないか。
「そうかそうか、リームも魔法士になりたいかぁ〜。魔法の素質は遺伝しないが、もしリームが魔法を学びたいというなら協力は惜しまないぞ。俺は基本的に弟子はとらないが、他でもない我が子のぐぅぅっ!?」
「黙ってくださいっ!!!」
 余計なことを言おうとしたラングリーの頬を、横から思いっきり押さえて、リームはそれを妨害した。しかし、一瞬遅かったらしい。ダナンはそんなラングリーとリームを見比べて、まさか、とつぶやいた。
「嬢ちゃんが、噂のフローラ姫の?」
「違います! って、噂になってるんですか!?」
 『青』にまで知られているとは、一体どこまで知れ渡っていることなのか。リームは空恐ろしくなってしまった。いや、自分は関係ないのだけど、噂の子でもなんでもないし。と、心の中で言い訳しながら。
 そして、さらにリームが予想もしなかったことに、なりゆきを楽しげに見ていたティナまでもが、とんでもないことを言い出した。
「私もラングリーに魔法を教わるのは良い方法だと思うけどなー」
「ティナまでそんなこと言うんですか!? オジサンに教わるぐらいなら、ひとりで勉強します!!」
 なんでみんなそんなこと言うのだろう。確かにリームも、ラングリーが滅多にいないほど優れた魔法士だということは分かっている。宮廷魔法士という地位はそもそも『青』と並ぶと言われているのだし、実際に『青』であるダナンやイシュも一目置いているのは態度でも分かる。それは分かるのだが、だからといってラングリーに上から目線の態度で父親然とした教え方をされるのは、鳥肌がたつほど嫌だった。
「……随分と嫌われているようだな、ラングリー殿」
「反抗期なんだ。なんとかならないもんかな」
 ダナンに同情されて、ラングリーは全力で押さえられて赤く跡の残った頬をさすりながら言った。ダナンはふむと考えながら頷く。
「嬢ちゃん、ラングリー殿の弟子になれば、シェイグェールに行けるかもしれんぞ」
「えっ、ど、どういうことですか?」
「ラングリー殿ほどの実力者であれば、シェイグェール魔法院へ弟子を推薦してもおかしくはないということだ。もちろん試験は通常通り行われるが、名の無い魔法士の弟子として行くよりは、長の目にもとまるだろう」
「うっ、で、でもっ……」
 リームはダナンとラングリーの姿をちらちらと交互に見た。シェイグェールへの近道が目の前にある。憧れの『青』その人から保証された道だ。しかし、その道はとても不快で歩きたくない道で、本来ならば全力で避ける道なのだけれど……。
 悩むリームを見て、ラングリーはにやりとしながら言った。
「まぁリームにその実力があれば、だがな。リームには悪いが、実力のない者を推薦したとなれば俺の評判が落ちる」
 カチンときた。
 まだ何も始めてないのに、実力がないと決めつけられているようで。……確かに素質はそれほどないのかもしれない。イシュに言われた言葉が頭の中でよみがえる。でも、諦めるつもりはなかった。『青』になりたいという夢はそんなに軽いものじゃない。才能がないなら何倍も努力してみせる。実力がないなんて、言わせない。
「私は……諦めません! ぜったい私をシェイグェール魔法院に推薦させてみせます!」
 ――こうしてリームは、国有数の実力を持つ、世界で一番気に食わない宮廷魔法士の弟子になったのだった。


―― 雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ2 『青の魔法監視士』 終 ――

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