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雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 1 「黒竜の守護する国」



(4)店主の知人

 しとしとと細い雨が落ちていた。
 庭園に咲く色とりどりの花は、空を覆う雨雲の下でも尚あざやかだ。宝石のような雫に全身を飾っている。
 常に雨露をまとう魔法の花というのも良いかもしれない。今度フローラへの贈り物にしよう。
 高い塔にある執務室の窓から雨降る庭園を見下ろし、頭の中で複雑な呪文を組み立てながら、黒いローブを着た男は遠き地の愛する人を想った。
 と、その窓に、小さな小鳥が飛来した。地味な茶色い翼の、どこにでもいるような小鳥だ。
 小鳥は男がさしのべた手にとまると、ふわっと光をまとい、次の瞬間には空中に小さな映像を浮かび上がらせた。
 街の商店街で、黒髪を肩までおろした少女が買い物をしている。メモを見ながら買っていく品物は、さまざまな日用品だ。小さな体にあまるほどの袋を抱えて よたよたと通りを歩いていく。
 通りの商店がまばらになったころ、少女はある店に入っていった。見た目はどこにでもあるような店構え。看板には青地に黄色の文字で雑貨屋ラヴェル・ヴィアータと書いてある。
『ティナ〜、ただいま戻りました〜』
『お疲れ様! 重かったでしょ。そこらへんにまとめて置いておいてくれればいいから』
 店の奥に入っていく黒髪の少女。迎え出たのは金髪をひとつに結った若い女性だ。黒髪の少女を先に行かせ、自らは店の戸口から真っ直ぐこちらを見つめた。――映像を見ている男と目が合うほどに。
『どこの誰だか知らないけれど、しつこいのねー。今度は本物の鳥を触媒に使ってるの?』
 女性が差し出した手元に、ぐっと映像が引き寄せられる。女性が呪文を唱えたそぶりはない。ありえないことだった。
『あれっ、違うんだ。スゴイ……どーやってんの、これ?』
 すっと光が消え、映像はそこで終わった。男の手にとまっていたと見えた小鳥は、魔方陣の描かれた羊皮紙へと姿を戻す。
 金髪の女性。名前がティナ。――なにより、あの不条理な力と、その隠し方の稚拙さは。
「まったく。なんてとこに転がり込んだんだ、お前は……」
 苦笑を含んだ呟きをもらすと、男は執務室を出て行った。このままずっと様子をみているわけにもいかない。状況を動かすためには……助力を請う必要があった。



「それで、これ、どうするんですか? 新しい商品なんですか?」
「まぁ、そういうことね。良いモノなら、だけど」
 リームが買ってきた品物をひとつひとつ確かめながらティナは言った。リームはうんうんとうなずく。
「それがいいですよ! 飛び跳ねるお皿とか甘い胡椒とか、ヘンテコなものを卸す仕入先とは、縁を切ったほうがいいですって」
 リームを狙う老魔法士たちが現れてから5日。それ以降追手もなく、いつも通り平和に雑貨屋を営む毎日だった。
 ただ、雑貨屋ラヴェル・ヴィアータの『いつも通り』は、ひたすら暇で、たまに来るのは肝試し気分の少年たちやら妙な商品を返品しに来た客やら、という日々であったりする。
 皿もほうきも武器もアクセサリーも、仕入先はもちろん別々の職人のはずなのに、どうしてこの雑貨屋にはヘンなものが集まってきてしまうのか。不思議というより呪われているようだった。それとも、しばらくこの店に置いてあるとヘンなものに変化してしまうのだろうか。それはそれで恐ろしい。リームはそれ以上考えるのをやめて、買ってきた品物に意識を向けなおした。
「ほら、ティナ。この小皿可愛い! サロメイッテ村の品物ですよ。良いんじゃないですか?」
「うん、いいかもね。サロメイッテ村って……有名なの?」
「知らないんですか? あぁ、ティナは他の国の出身だっけ……西のシェシェ湖の側にある、国で一番陶器が有名な村ですよ」
「そうなんだ〜」
 とりあえずその日はこれが良いあれが良いと相談しながら、客の来ない1日を閉店まで楽しく過ごしたのだった。


 本日の晩御飯はベーコンと野菜の麦粥、小魚チェチェムの唐揚げ、デザートにトムベリーの蜂蜜漬けまである。あいかわらず豪華な食事だ。
「ねぇ、ティナ、そろそろあの話考えてくれました?」
「え? あの話って……あぁ、そうだ」
「あ! ティナ、忘れてましたね!? ひどいです、私にとってすごく重要なことなんですよ!!」
「ごめんごめん。でもやっぱり、他人に教えるとなると難しくて」
「そこをなんとかお願いします! 魔法士になるのが私の夢なんですっ!」
 ティナが実力のある魔法士だと分かったときから、リームはティナに魔法を教えてほしいと頼み込んでいた。
 しかし元々魔法士は誰でもなれるわけではなく、素質が必要だ。そよ風を起こす程度の些細な魔法なら、正しい発音の呪文と魔力をふるうコツを掴むことで半数程度の人は使えるようになる。しかし、実用性のある魔法となると、扱えるのは本当にわずかな才能ある者だけだ。
 5日前、ティナは一番にそれを話してリームの頼みを断わった。しかしリームもそう言われることは十分予想していたようだった。
「れ、レィ……レェ……фжη=бп」
 つっかえながらリームが呪文を唱えると、手のひらの上に光の球が生まれた。それは次第に大きさを増し、両手からあふれるほどの大きさになるとフッと空気に溶けるように消えた。
 子供の遊び程度に使われる簡単な魔法で、一般的には指先程度の光を生み出すことができる。それは、光球の大きさが大きいほど魔法の才能があるという指標にもよく使われるものだった。
 リームの作り出した大きさなら、十分魔法士になれる可能性があるものだと、孤児の仲間たちの中では言われていた。ただ大人には見せたことがなかった。神官に見つかると神殿付きの魔法士になるよう教育されるので、神殿付きになるつもりのないリームは大人たちに魔法を扱うところを見られないようにしていたのだ。
「どうですか? ちょっとは魔法の才能、あると……思うんですけど……」
 それくらいじゃ魔法士になれないと否定されたらどうしよう。リームは不安げにティナの様子をうかがった。
 ティナはどこか痛いのかと思うぐらい眉間にしわを寄せて悩んでいた。ちょっと待って、と言うと、片手をこめかみあたりに当てて、たっぷり時間をかけて悩んでいた。
「……んーっと、ね。リーム。たぶんリームは魔法の才能はあると思う。でも私は、ちょっと……自己流? っていうか、きちんとした系統の魔法を学んでなくて……教えるのは無理かなーって思うの。うん。……はぁぁ。そっかぁ、リーム、魔法に興味あったんだー……」
 リームは何故ティナがため息まじりに話すのか分からなかったが、魔法の才能があると言ってもらえたことだけで、不安で重かった気持ちが一気に羽のように軽くなった。初めて孤児仲間以外の、それも(たぶん)すごく優秀な魔法士に認めてもらえたのだ。
「才能、ありますか!? やったぁ! ティナ、私、がんばります! 別に魔法学校みたいに教えてくれなんて言いませんから、ティナのやり方で教えてもらえませんか! お願いしますっ!!」
「え、ちょ、うん、分かった、考えておくよ、だからちょっと落ち着いて、リーム」
 がっしり手をつかまれてキラキラした目で見上げられて、ティナは仕方がなくそう言ったのだった。
 ――そして今日。夕食中に再びリームに詰め寄られたティナは、軽くため息をついてリームの頭をこづいた。
「何度も言うけど、本当に私に魔法を教わるのはリームのためにならないと思うの。ちゃんとした師匠につくなり、魔法学校に行くなりしたほうがいいと思う。素質ある人は少ないんだから、引く手あまたでしょ」
「でも、だから危険なんだっていうのが、神殿での常識でしたよ。孤児の仲間でも、魔法の才能があるって分かったら、あやうく誘拐されかけたなんていう子もいました。そしてすぐ貴族にもらわれてっちゃいましたよ」
「貴族のところにいたほうが、魔法をしっかり教えてもらえるんじゃない?」
「とんでもない! 貴族付きの魔法士になんてなりたくないです。私は『青』になりたいんですから!」
「うわ……」
「そんな顔しないでくださいよー、夢は大きくたっていいじゃないですかっ」
 ティナの表情を勘違いしたのか、リームはちょっと照れながら言った。
 通称『青』と呼ばれる魔法のエキスパート、世界最高峰の魔法研究所兼学園のシェイグエールを本拠地とし、人間社会での魔法の不正利用を取り締まる独権集団、『魔法監視士』――その魔法技術は、精霊族や竜族をも超えると言われる。
 ティナとしては別にリームが『青』になりたいということをばかにした意味ではなかったのだが……ただ、いろいろと都合が悪い夢ではあった。
「そ、そうね。夢は大きいほうがいいよね……。だったら尚更、ちゃんと基本から学んだほうがいいと思うわけよ。魔法士の私が言うんだから本当だって」
「そうなんですか……うーん……分かりました。残念ですけど、ティナから教わるのは諦めます。でも、たまに魔法見せてくださいね?」
「あぁ、うん、そうね……あははは」
 笑って誤魔化しながらチェチェムの唐揚げを食べるティナ。その様子を見ながら、年のわりに聡明なリームは何か隠し事があるんじゃないかと思いはしたが、この店主に謎が多いのはいつものこと、と、あまり深くは考えなかったのだった。


 翌日。
 リームが開店準備をしていると、ティナが大きな木箱を抱えて階段を降りてきた。
「あ、リーム。そこのテーブルの上のコップ寄せて、これ並べてくれる?」
「はーい」
 木箱には屑布に包まれた食器のようなものが沢山入っていた。一枚一枚布から取り出してテーブルに並べていく。柔らかいミルク色をしたその食器は、落ち着いた紅色の線で装飾がほどこされていた。その独特な紋様は、クロムベルク国では有名で。
「サロメイッテの皿じゃないですか! もう仕入れたんですか!」
「うん、リームも薦めてたじゃない」
「そりゃそうですけど……昨日商隊来てましたっけ? よその店から買い取ったんですか?」
 昨日は買い物から帰ってからずっとティナと一緒にいたので、ティナはよその店に行ったりはしていないはずだった。部屋から魔法を使った手段で仕入先と連絡を取ったのだろうか。品物を受け取ったのは夜中? この不思議な雑貨屋と夜中に取引してくれるような風変わりな店がこのレンラームの街にあるのだろうか。
「ま、独自のルートってやつね」
 ぱちりと片目を閉じてにっこり言うティナ。
 ……そんな得体の知れないルートを使うから、商品もアリエナイ欠陥品だったりするんじゃないかなぁ。
 笑顔のティナとは対照的に、リームは眉をひそめて真新しい皿を見つめるのだった。


 西の空、雲の合間から見える陽光は、わずかに赤みを帯びはじめていた。
 結局、新しく店に並べた皿も1枚も売れず。リームは暇をもてあましてカウンターに座っていた。が、突然、なんの前触れもなく、店の外に複数の光球があらわれ、バチバチバチっと何かがはじける音が鳴った。
「きゃっ!?」
 リームはカウンターの椅子から転げ落ちるように頭をかかえる。
 それとほぼ同時に、2階から駆け下りてくる足音。
「リーム、無事っ!?」
「ティナ!」
 その間に、店の外にある光は、ひとつ、ふたつと、店の入口から中に入ってきた。ティナは寄り添うリームの肩を引き寄せながら、素早く呪文を唱える。すると、店内の光の球は霧散した――が、しかし、またすぐに外から入ってくる。数度繰り返しても、店の外にある光球は一向に減る様子を見せなかった。
「前のじーさんと違って、わりとやるみたいねっ」
 ティナが呪文をつむぎ両手を広げると、生まれた風が店の外へと向かう。光球は明滅を繰り返しすべて消えかかるも、また新たに別の色みをおびた光が現れた。
「うあ、そうくるんだ……」
 うんざりした声音で言うティナ。リームには何が何だか分からない。複雑な魔法のやり取りが行われているらしいことを想像するしかなかった。
 しばらく光とティナの呪文の応酬が続いていたが、とうとうティナが音をあげた。
「もー、めんどくさい! これだから人間の魔法士って厄介なのよ!」
 トン、とティナが片足を鳴らした。
 すぅっと、音もなく周囲の光球が消える。幻が消えるようにあっけなかった。
 そこには何事もなかったように、ただの夕暮れ前の雑貨屋、いつもの店内だ。
「な、なんだったんですか……」
「さーあ? 本人に聞いてみよっか?」
 ぱちんとティナが指を鳴らすと、店内に紫色の光の魔法陣が現れた。その光に包まれて姿をあらわしたのは、黒を基調にしたローブをまとった男だった。外側にはねた黒髪と赤褐色の瞳、端正な顔立ちは若々しいが、30代そこそこには見える。その男が持つ細身の銀の杖が職業を語っていた。驚愕の表情を隠しきれてない様子で、周囲を見回した後、ティナに視線を向けて、とってつけたように微笑んだ。
「初めてお目にかかります、ティナ・ライヴァート殿」
「ふーん、私のこと知っててやったんだ?」
 にっこりとティナは言う。いつも通りの笑顔のはずだったが、どこか違う雰囲気を感じて、リームは身を固くした。どきどきと自分の鼓動が耳につく。黒ローブの男は笑顔を崩さない。
「というよりも、隠そうとなさってなかったでしょう」
「途中から面倒くさくなっちゃってねー。本当、あんな複雑な魔法久しぶりに見たよ」
「お褒めいただいて光栄。ちょっと力試しをしてみたかっただけでね。大目に見ていただけると助かりますよ。俺はただリームを説得しに来ただけなんですから」
「――わ、わたし!?」
 すっかりティナ関連の来客だとばかり思っていたリームは、思わず叫んでしまった。男はそんなリームに少し目を細める。
「そうだぞ、リーム。意地張ってないで、母親に会いに行ってやるんだ。心配してるだろう」
「わ、私に母親なんていないし、いらない!」
「あー、それ、フローラが聞いたら泣くな。間違いなく号泣だ」
 何故か男はどこか楽しげだった。ティナに視線を移して言う。
「ティナ殿も思いませんか。養子になるとしてもならないとしても、一度母親に会って、言いたいことがあるなら本人に直接言うべきだってね」
「思わないわけでもないけど、私の店に魔法をふっかけてくるよーな奴の言う事聞きたくないわねー」
 剣呑な視線のティナに、男は肩をすくめた。
「あなたのような方の側にリームを置いておきたくない気持ちも分かってくださいよ。あなたが何者であるか知ってる人間なら、多かれ少なかれそう思うと思いますよ」
「……ほんとに知ってるの? 知っててその口のきき方ってちょっと神経疑うわ」
「はっはっは、それはお褒めの言葉ですか?」
 陽気に笑う男に、ティナも毒気を抜かれたようだ。カウンターの椅子に腰掛けて、リームに問う。
「で、どーするの?」
「どうするも何も……貴族のとこなんて行きたくないし、母親だなんて言う人に会いたくもない」
「……そう」
 ティナは何か言いたげな沈黙を落とすも、黒ローブの男に視線を戻した。
「まぁ、そういうことだから。今回は見逃してあげるけど、次回はないからね。さようならー」
 ひらひらと手を振るティナに、男は余裕の表情でうなずいた。
「仕方ありませんね。切り札にご登場願うとしましょう」
 男は店の窓をふり返り、合図を送った。キィ、と店の入り口の戸が開く。
 入ってきたのは、銀糸の刺繍が入った紺のドレスに紫のショールを羽織った女性だった。波打つ艶やかな黒髪は銀の髪飾りで留められて、紫の瞳は深く落ち着いた光をたたえていた。
 ガタンっと椅子を蹴ってティナが立ち上がる。その表情は、驚きよりも困惑が強い。
「ファラさん!! なんで……!?」
「久しぶり、というほどでもないかしら。ティナちゃん。3ヶ月ぶりぐらいね」
 ファラと呼ばれた女性は、深く柔らかい声と優雅な口調に似合わぬいたずらっぽい微笑みを浮かべ、視線で黒ローブの男を示した。
「ラングリーは、宮廷魔法士なの。さっきの魔法は見事だったでしょう。ごめんなさい、私も許可してしまったのよ。ティナちゃんも良い勉強になるかと思って」
「宮廷魔法士……なるほどね!」
 ティナの視線に、大仰なお辞儀で答えるラングリー。小憎らしい笑顔は、どこか愛嬌があった。
 ファラは、状況が把握できず傍観しているリームの前に行くと、優雅にドレスの裾を折り膝をついて、目の高さを合わせて語りかけた。その口調はどこまでも優しい。
「初めまして。わたくしはファラミアル・サティアス。あなたがリームね」
「はい……」
「ごめんなさい。あなたの親があなたを手放さざるを得なかったのは、わたくしのせいでもあるの」
「!?」
「でも、あなたの親はあなたの誕生をとても喜んでいたのよ。神殿に受け渡した後も、毎日のように魔法で様子を見ていたの。そうよね、ラングリー?」
「おっしゃるとおりです」
「リーム、あなたに寂しい思いをさせた責任は、確かに親にあるのかもしれません。恨まないでというのは無理な話でしょう。でも、逃げないでほしい。背中を向けずに、ちゃんとこれまでどんなに辛かったか、寂しかったか、伝えてほしいのです」
「…………」
 リームは何も答えなかった。いや、答えられなかった。そんなの知らないと叫びたい気持ちもあったが、ファラにはそう言わせない何かがあった。それでも、自分を捨てた親に会うのは怖かった。相手が何を言うのか、自分が何を言ってしまうのか、怖かった。
 ファラは立ち上がって、横で見守っていたティナに言った。
「少しリームを借りてもよろしいかしら? 一晩でいいのよ。この子の母親がいるのはストゥルベル領だから、ティナちゃんに送ってもらうまでもなくわたくしの翼で十分」
「それは本人次第だけど……なんでファラさん自ら?」
「ストゥルベル家はエイゼルの叔父にあたる家なのよ。つまり、リームの母親はわたくしの義理の従姉妹です」
「うあ、それはちょっといろいろと厄介そうな……」
「な、なんなんですか、ティナ、その哀れみの目はっ!?」
 勝手に話を進めていくティナに、リームがくってかかる。というか、ティナが貴族と知り合いだったなんて初めて知ったし……しかも、どうやら自分の遠縁の親戚らしいではないか。天涯孤独の捨て子として生きてきたリームは、ちょっとドキドキしながらちらっとファラを見上げた。そんなリームの頭をファラは優しく撫でる。
「大丈夫よ、緊張してしまうのは当たり前でしょうね。フローラも急に会えるなんて知ったら、きっと緊張で取り乱して泣き出してしまうでしょう」
「まったくもっておっしゃるとおりでしょうねぇ」
 何故かうんうんと大きくうなずく宮廷魔法士ラングリー。そんな彼にファラは視線を向けた。
「ラングリー、先に行って知らせておいたほうがいいのではないかしら? わたくしたちはゆっくり行きますから」
「では、仰せのままに。リーム、またあとでな!」
 ラングリーが呪文を唱えて杖をふると、紫色の光がはじけて、そして消えた。ラングリーの姿とともに。
「すごい……」
 リームは呟く。魔法についての詳しい知識はなかったが、空間移動の魔法がとてつもなく難しいということは知っていた。王都内でそれなりの規模であるピノ・ドミア神殿付きの魔法士でも、数人が集まり大きく複雑な魔法陣を使ってこなしていたのだ。それを杖の一振りでこなしてしまうとは。
 宮廷魔法士。『青』と並んで魔法士のエリートと称される役職だ。世界を旅してまわることの多い『青』とは逆に、宮廷の執務室で研究にこもることが多いと言われている。
 なので『青』に比べて地味な印象をいだいていたのだが……宮廷魔法士も格好いいかもなぁ、と、リームは思うのであった。
「さあ、リーム。行ってくれますね?」
「えっ!? え、いや、その……」
 突然おとずれた決断の時に、さらに思わぬ方向から追い討ちがかかった。
「んー、リーム、行くだけ行ったら? ファラさんに逆らうのは得策じゃない……ていうか、無理だと思う、普通に」
「ティナまで!? そんな、私……私、無理だよ……」
「もう、そんな泣きそうな顔しないの! 私も一緒に行ってあげるから! ……ちなみにリーム、高い場所って平気?」
「え……? 別に嫌いじゃないけど。なんで……?」
 話の行方が見えないのはリームだけらしい。
 ティナとファラはお互い視線を交わして、にっこりとうなずきあった。



 空は東から青紫と濃紺に染め上げられていき、わずかに西のかなたに橙色がほっそりと残るばかりとなった。
 街の家々は夕飯時だろう。通りを歩く人の姿は少なく、ただ食堂兼酒場は活気づいている。主要となる大きな通りには治安部隊が点々と魔法の明かりを点けていた。
「わざわざ今から行かなくてもいいと思うんですけど……」
 不満げに呟くリーム。ファラとティナの3人で歩いているのだが、貴族の奥方と、身の回りを世話をする少女×2にしか見えないだろう。この街で貴族を見かけることがないわけではないが、日も暮れるというのに武装した従者が1人もいないというのは珍しいかもしれない。
「こういうのは思い立ったが吉日なのよ」
「そうですね。残念ながらわたくしも日々の勤めがある身ですから、付き添える時間が限られていますし」
 だったら私は別に母親(らしき人)になんて会わなくってもちっとも問題ないんだけどー。
 とは、この貴族の奥方には、さすがに言う気が起きないリームであった。
 ピノ・ドミア神殿に来る貴族は何十人も見たことがあるが、ファラほど纏う空気が違う貴族は滅多にいなかった。華やかでいて重厚な、つい目を惹かれてしまう、それでいて畏まってしまうような存在だ。
 本当にこんな人の親戚が自分の親なのだろうか……あれ? でも義理のってことは血はつながってないんだな。
 そんなことを考えていると、ティナとファラが立ち止まった。魔法の明かりの並ぶ大きな通りを過ぎ、民家の並ぶ地域に差し掛かったところだ。そろそろランプが欲しい薄闇の中、夕飯をかこむ家族の楽しげな声がわずかに聞こえてくる。
「このあたりでよろしいのかしら?」
「ま、うちの店から離れてくだされば、どこでもいいんですけどね。えーと、上に行ったほうが?」
「えぇ、もちろん。広さが足りませんから。お願いできるかしら」
「お安い御用ですよ」
 相変わらずリームから見ればワケのわからないやり取りをした後、ティナは呪文を唱えだした。つっと地面に光の輪が描かれ、リームたち3人を囲む魔法陣を描き出す。
 その魔法陣は最初は分からないほどゆっくりと、次第に速度を増して上空に浮かび上がった。上に乗る3人ごと宙に浮き上がる形となり、バランスを崩しかけたのはリームだけだった。
 ティナにしがみつきながら下を見下ろすと、並ぶ民家がぐんぐんと小さくなっていく。通りに点々とならぶ魔法の明かりと、家々のランプの明かりが集まって、ひとつの光の絵を成しているようだ。
「すごーい……きれい!」
「こんなので喜ぶのはまだ早いわよぉ、リーム。これからファラさんの背に乗って優雅な夜空の旅なんだから」
「せにのって?」
 何かを聞き間違えたのだと、リームは思った。
 ティナは意味ありげな笑顔でファラに視線を送り、ファラはにっこり頷いて魔法陣から1歩踏み出した。
 あっとリームが息をのむより早く。
 街へと落下するファラは漆黒の闇に包まれた。
 東空の果てから広がる夜闇より、なお濃い闇。
 闇は刹那に大きく膨れあがり、リームは魔法陣の下で巨大な何かがバサリと羽ばたくのを聞いた。



 それは遠く地上から見上げるよりもずっと大きく、そしてしなやかだった。
 リームの手のひらほどもある漆黒の鱗は、わずかな残陽に輝いてきらきらと宝石のようだ。
 その宝石が敷き詰められた場所に、リームはいた。
「な、なななな、なにが、どーゆうっっっっ!?!?」
「あっはっは! 落ち着いてよ、リーム!」
 腹の底から笑うティナにばんばんと背中を叩かれても、リームは一向に落ち着けなかった。
 目の前には黒い宝石のような鱗が覆った背。ほっそりとした首に続き、体に対して小さな頭には2本の角が生えている。左右には大きな皮膜状の翼。これだけ 大きなものが側で動いているのに突風を感じないのは、結界のおかげなのだろう。竜は翼ではなく魔法で飛ぶという。
 ――そう、竜、なのだ。
 リームはクロムベルク王国を守護する黒竜の背に乗っていた。
「ファラさんの名前って、あまり国民に知られてないんですね」
『竜にとって名前は神聖なものですから。なるべく広まらないようにしているのですよ』
 音ならざる音が声となって耳に届く。音でないことは確かなのに、人間はそれを音として捉え、声として認識した。ファラが人間の姿をしている時とまったく同じ、柔らかく暖かい声だ。
「……お、王妃様……?」
『なんですか? リーム』
 呆然と呟いた言葉にさも当然のように応えられて、リームはふうっと気が遠くなるような気がした。
 夢だとしても突飛すぎる。何故、飛ぶ姿を見上げて祈っていただけの一般国民たる自分が、畏れ多くも王妃様の背に乗っているのだろうか。溶ける鍋よりも飛び跳ねる皿よりもずっとアリエナイ。
『……大丈夫ですか、リーム。飛ぶ速度が速すぎますか? 結界を張っているので大丈夫なはずですけれども』
「ほら、リーム、石像みたく固まってないで、まわりを見てごらんよ。昼は昼できれいだけど、夜の風景も良いもんよ」
 反応のないリームにファラとティナが声をかける。しかし、その声も耳に入らないようだった。
「……なんで、どうして……こんなことに。やっぱりお祈りせずに神殿を抜け出したから罰があたったのかなぁ? あぁ、光のヴォルティーン様、運命のメービス様、時空のクゥノス様、大樹のフィーグ・ラルト様、どうかお許しください。そしてか弱き人の子に祝福を……」
 目をつぶって祈りの言葉を呟くリームには、その祈りの言葉を聞いてなんとも微妙な表情をするティナは目に入っていなかった。
「あー、ファラさん、ストゥルベル領ってどこにあるんですっけ?」
『北東の方角です。領都のストゥルベルは港町なのですよ。そうですね、大体2刻もあれば到着するでしょう』
「ふーん。そこの領主の娘なわけね、リームは。さらに、母親がファラさんの義理の従姉妹……ってことは、エイゼル様の従姉妹?」
『えぇ、先王の弟君がリームの祖父にあたるのです。弟君には娘しかおりませんから、今のところリームがストゥルベル家の跡継ぎということになります』
「うーん、聞いてるだけでややこしそうな家柄……」
 聡明なリームは聞こえてくる会話を聞こえなかったことにした。自分の理解を超えているし、理解したくもない。
 意を決してピノ・ドミア神殿から逃げ出したのに、その意味がまったくなくなってしまった。
 このまま屋敷に連れて行かれたら、なし崩しに貴族の娘として籠の中に囚われてしまうのではないか。
 リームはティナの服の裾をぎゅっと掴んだ。
「ティナ……私は貴族の子になるなんてイヤ。これからも雑貨屋で働きたいし、お金を貯めたら魔法学校にも行きたいです。もし、屋敷に閉じ込められそうになったら、連れて逃げてくれますか?」
 ティナは笑ってリームの頭を撫でた。
「そんな心配してたの? だいじょーぶよ。会うだけだって、ファラさんも言っていたでしょう。万が一、リームの意に反して手元に置こうとしたとしても、私が絶対連れ出してあげるから」
『ふふふ、ティナちゃんの保障があれば、これ以上心強いことはありませんね。リームは良いお店を選んだものです』
 王妃様と旧知の仲らしいこの不思議な雑貨屋の店主は、一体何者なのか。想像もできないけれど、リームは店主に頼るしかないのだった。

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