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雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 4 「精霊に見守られたお茶会」



(2)魔法の源『フィード』

 目を閉じて、耳を塞ぐ。
 そのまま少しうつむいて、自分の体全体を意識する。
 そして、全身の感覚を少しずつ、じわじわと広げていく――。
 やがて広げた感覚が何かに触れるのが分かる。触れるというよりは、皮膚で空気の温度を感じるのに近いだろうか。黄色、緑色、青色……目には見えないのに、何故か色のようなイメージも感じとれる。
 ぼんやりと霧のように形が定まらず、流れ動いているもの――世界に満ちる息吹、魔法の源『フィード』。
 それは神々の世界にある聖なる大樹『フィーグ・ラルト』から生み出された力で、聖なる大樹の子である『王の樹』グラン・リィトを通じてこの世界に供給されているという。生物で表わせば血潮ともいうべき、世界にとって必要不可欠な力。そう本で読んだが、大きすぎる話であまり実感はできない。
 魔法は、このフィードを操る技術なんだそうだ。
 やっとのことで始まったラングリーの魔法指導。期待を抑えつつ執務室に向かったリームに、ラングリーは言った。
「まずはフィードを正確に感じ取ることからだ。見えるもの聞こえるものに惑わされないこと。中庭に魔法具を隠しておいたから、フィードを目印に見つけてこい。お前たちでも分かるように作っておいたからな」
「ハイッ、分かりました!! よーし、リーム、先に見つけたほうが勝ちだからな!」
「えっ、ちょっとまっ……!?」
 一緒にいたミハレットはすぐさま執務室を飛び出していってしまい、残されたリームは開けっ放しの扉のほうを見たまま二秒ほど迷ったが、くるりと振り返ってラングリーにたずねた。
「もうちょっと具体的に教えてください。フィードを見る方法は本で読みましたけど、目印にってどういうことですか」
「それは見てみれば分かるさ」
「ほんとですか?」
「ウソ言うわけないだろう。自然に流れるフィードと魔法で固定されたフィードは全然違う。もちろん自然なフィードの流れに似せて作ることもできるが、今回はやってないからな。ほらほら、早く行かないとミハレットに先を越されるぞ」
「ま、負けません!!」
 そう言うと、リームも執務室から駆け出していった。



 突然、右後方に違和感を感じた。圧迫感と歪み、フィードの流れが渦を巻くように変化する。
 感じる感覚を色として表現するなら、虹色から紫色へ――その鮮やかな紫色は実際に見覚えがあった。
 リームが目を開けて振り向くと、バラの生け垣のずっと向こうに、消えつつある紫色の光が見えた。そして見慣れたシルエットの人影。ティナが迎えに来たのだ。
「ティナ!」
 呼びかけて手を振ると、ティナも気がついてこちらに歩いてくる。二人は石造りの円形噴水のそばで落ち合った。
「今日は一人なんだね。ちゃんと魔法は教えてもらえた?」
「それが、課題みたいなのが出されたんですけど、うまくできなくて……」
 結局、この時間まで魔法具を見つけることはできなかった。それはミハレットも同じだ。リームがティナに魔法具探しについて説明すると、ティナはふーんと言いつつ視線を左右にすべらせた。
「あぁ、なるほどね。初めての課題にしては、ちょっと難しいんじゃないかなぁ」
「えっ、もう見つけたんですか!? どこらへんにありますっ?」
 リームとミハレットが数刻かけて探しても見つからないものを、数秒であっという間に見つけてしまうとは。やっぱりティナってすごい、と思うと同時に、『お前たちでも分かるように作っておいた』というのは、あながち嘘じゃなかったんだな、と思って、リームは悔しくなった。見つけやすく作ってあるものすら見つけられない。自分たちはまだまだひよっこ、初心者以下なのだ。
「いやあ、私が教えちゃったら意味がないじゃない」
 笑顔で言うティナの言葉はもっともだったが、ラングリーに見つかりませんでしたなんて言いに戻るのは、絶対に嫌だった。なんとしてでも見つけたい。
「せめてヒント! ヒントください!」
「えー、それじゃあねぇ……フィードっていろんな色があるじゃない? 属性によってさ。地面を流れるフィードは黄色っぽいし、空を流れるフィードは青っぽい」
「はい」
 火のフィードは赤く、水のフィードは緑。風のフィードは青く、地のフィードは黄色。光と闇のフィードはそれぞれ白と黒。目に見えるわけではないのに、その感覚の違いは色で表わすのが一番しっくりくる。
「で、混ざってるといろんな色に見えるから、属性の偏りが無いところは虹色っぽくなってると思うんだけど……こう、混ざり具合がね、不自然でおかしいなーってとこがあるのよ」
「混ざり具合……ですか?」
 リームは目を閉じて、感覚を広げてみる。
 ここは噴水のすぐ近くなので、水属性を示す緑色のフィードが強い。緑色と青色と、黄緑色とわずかなオレンジ色。ぼんやりとした光のようでもあり、香りのようでもあるそれは、絡まりあいながら緩やかに流れている。――目を開くと、明るい庭園の光景に覆い隠されて、淡くつかみどころのない流れは把握できなくなる。
「……何が普通で、何がおかしいのか、ぜんぜん分かりません」
 リームが正直に言うと、ティナはうーんと軽く首をかしげて髪をかきあげた。
「そうだよねぇ。えーと、なんていうか……あ、ほら、コレとかどう?」
 ティナが自分の右耳のイヤリングを示す。雑貨屋のカウンターに置いてある呼び鈴と対になる魔法具だ。
「はい……ちょっとよく見せてもらっていいですか?」
 リームは再び目を閉じて、ティナのピアスのそばに右手を伸ばした。温度を感じるように手をかざすと、ぼんやりとしたフィードがよく『みえる』。
 周囲のフィードの流れとは少し違う、比較的はっきりとした色味。ふわふわと漂うのではなく、ひとつの点をまわるように緩やかに動く流れ。次第に、細く束ねられた色糸が模様を描くような流れがみえた。これが、制御されたフィードの流れ――魔法。
 リームはぱっと目を開くと、満面の笑みで言った。
「見えました! 魔法って、綺麗なんですね」
 その言葉にティナはうんうんと頷く。
「なんとなく分かったかな。全部がこういう感じってわけじゃないけど、まずはひとつでも実際に感じてみないと分からないよね」
「そうですね。いきなりこの広い庭園の中から探せって言われても無理ですよ。すごく集中して見ないと、色味とか流れの違いが分からないですもん」
 その時、ミハレットが石畳の遊歩道から蔓のからまるアーチをくぐって噴水のそばにやってきた。
「あぁ、ティナ殿、ごきげんよう。リーム、今日はもう帰るのか?」
「えっと……」
 ティナの顔をうかがうリーム。ティナはニコニコと手をふる。
「いいよ、見つかるまでがんばって。別に早く帰らなきゃいけない用事があるわけでもないし。ミハレットくんは見つけたの?」
「いえ、まだです。さすがは世界最高峰の魔法士、千年に一度の天才である師匠が出された課題っ、なかなか手ごたえがありますっ。ティナ殿は師匠の塔でお待ちになりますか?」
「そうだね、フィード感知の邪魔しちゃ悪いし、そうしよっかな」
 ティナはじゃあがんばってねと片手を振りながらラングリーの塔へと向かっていった。
 ミハレットのティナに対する態度が随分丁寧になっているのは、ラングリーから何か聞いているからだろうか。それとも単にラングリーのティナに対する態度を真似ているだけなのだろうか。あとで探りを入れてみようと、リームは思った。



 執務室の扉がノックされ、ラングリーは魔法具を手にした弟子たちが入ってくるものだと思ったが、しかし、そこにいたのは長い金髪をひとつにまとめた少女姿の例のアレであった。
「これはティナ殿。お迎えの時間ですね。リームは庭園にいたはずですが」
「うん、さっき会ったよ。まだ課題が見つからないんだって。初っ端からあれは難しすぎるんじゃないの?」
 ティナはリームが普段使っている椅子に腰かけながら言う。ラングリーは読んでいた書物を閉じて立ちあがった。
「この俺の弟子ですからね、あれくらいできなきゃ話にならないですよ。お茶でも淹れましょう。日が暮れるまでやってるでしょうから」
 棚からティーポットとカップを取り出すと、小声で呪文を唱えながら横に置いてある茶葉の缶の蓋をあける。ティーポットの蓋をとり茶葉を入れる頃には、ポット中には湯気の立つお湯が満ちていた。
「へぇ、それいいね。ポットに水と火の魔法が刻みこんであるんだ。お店に置いてみようかな」
「このタイプの魔法具は、魔法士じゃないと使えないですよ。貴女の雑貨屋の目的に合わないのでは?」
 ラングリーはティーポットとカップ、そして角砂糖が入った小鉢をトレイに乗せ、ティナの前の長机に運ぶ。ティナは目の前に置かれたティーポットをまじまじと観察した。
「別にそんなことないわよ。この世のありとあらゆるものを並べられるようになるのが目標なんだから、魔法具だってあってもいいし」
「まだその段階じゃないように聞いてますけれどね。鉄鍋は溶けませんし、ホウキは踊らないですよ」
 茶化すような笑顔で言うラングリーに、ティナは眉根を寄せた。
「う……だって、難しいのよっ。ラングリーだってやってみたんだから分かるでしょ?」
 その言葉に、今度はラングリーのほうが眉をしかめる。
「だから、俺を同列に並べないでくださいよ。一介の魔法士にすぎないんですからね。前にも言いましたが、貴女はもうちょっと自覚を持った方がいいと思います」
「あははは、それすっごいよく言われる」
 屈託なく笑うティナに、ラングリーは肩をすくめて自分の机のほうに戻った。椅子にはかけずに、窓の外、中庭を見下ろす。四の刻を少し過ぎ、日は随分傾いているもののまだ明るい。
「リームにはいつ話すのですか?」
「え?」
 ティーポットの蓋をあけお茶の出具合を確かめていたティナが、ラングリーのほうへ視線をあげた。
「魔法を学び始めたら、遅かれ早かれ気づくということは、分かってたはずですよね? 誤魔化し続けるのは無理ですよ」
「うん……だけど、ねぇ、ほら。みんながみんなラングリーみたいな感じじゃないしね? いくら父娘だといってもね?」
「そうですね。分かりますよ。……ティナ・ライヴァート殿」
 ラングリーは窓の横の壁に背をあずけ、腕を組んでまっすぐティナを見据えた。
「俺じゃダメですか?」
 ティナは一瞬ぽかんとした表情をする。
「……え? ごめん、悪いけど全然興味ないし、フローラさんが泣き死ぬと思うんだけど」
「何言ってるんですか、俺がフローラ以外に興味を持つわけがないでしょう。リームの代わりですよ」
 ラングリーはやれやれと頭をかきながら自分の肘掛け椅子に腰をおろした。
「思うに、貴女には『普通の人間』の視点が必要なんですよね? だからわざわざ人間の街に店を開いているのでしょう? 俺だったら貴女の正体をすでに知っていますし、その上で普通の人間としての意見もできると思いますよ」
「あ、あぁ、そういう……あはは、そうよね。えーっとね……」
 ティナは笑って誤魔化しながら、ティーポットからお茶を注いだ。琥珀色の香茶がカップを満たす。
「なんか、うまく言えないんだけど……私が必要としてるのはたぶん、普通の人間の視点っていうか……そう簡単に代われるようなモノじゃないんだと思う。うん。ラングリーはラングリーですごく助かってるんだけどね? 『青』からの目隠しにもなってもらってるし、こうして話してても色々とためになるし」
 一瞬の沈黙。ラングリーは少女のようにしか見えないものをじっと見た後、軽く息をつきながら言った。
「そうですか。まぁ貴女の決めることに対して口を出せる立場でもありませんでしたね。失礼しました」
「ううん。参考になる意見をありがと」
 ティナは香茶を一口飲んで、ふと気づいたように言った。
「ねぇ、もしかして、リームだけじゃなくて、私のことも心配してくれた?」
「どちらかというと『世界』を心配したというほうが近いかもしれませんよ」
「あー、そっちか。うん。ごめん。みんなに心配かけてるのは分かってる。でも、そんなヒドイことにはならないと思うからさ。大丈夫だよ、たぶん」
 にこっと笑う表情の裏表のなさに、ラングリーは再び深くため息をついた。こいつは心の底からそう思ってるんだろうな。まったく悪意がないだけに純粋に恐ろしかった。
「そうですね。そうあるように祈っておきます」
「ん……また会えるの楽しみにしてるって」
「…………」
「あ、ごめん」
「……いえ、大丈夫です。そうですね、近いうちに」
 ラングリーは目を閉じて、脳裏に焼きついた姿に祈りをささげた。


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